ざつぶん【雑文】… 専門的でない、気軽に書き流した文章。
ざっき【雑記】… いろいろな事柄を書きつけること。また、書きつけたもの。
令和六年の決意
ここのページ、昨年は一度も更新できなかった…! がーん。
今年はちょくちょく更新するぞ、と、
とりあえずひっそりと決意のみ記す。
2022年7月のリコリス・ピザ
2022年7月、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『リコリス・ピザ』を観に行った。
ポール・トーマス・アンダーソン監督とは劇的な再会を一方的に果たしたのち、
他の監督作品をすべてレンタルして鑑賞していた。(以下、略してPTAと記す)
そして楽しみにしていた新作、リコリス・ピザ。
観ていて、観終わって、私はかなりびっくりしてしまった。
めちゃくちゃいいじゃないか、そして、めちゃくちゃ爽やかじゃないか、と。
それまでに私が観てきたPTA作品はどれも、とても良い意味で、「暑苦し」かった。
ガワは軽妙で時にはコミカルでユーモラスであっても、テーマは暑苦しく重々しく、
でもそれが全然嫌じゃなくて、むしろその暑苦しさや重々しさにPTA作品の価値と醍醐味があった。
うまくいかない人生、人並みのことができない人生、悩み、もがき、家族、親子、
疑似家族、堕落と失墜、抱えてるトラウマ、のし上がり、再スタート。などなど。
特に『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以降は外側の軽妙やコミカルもどんどん排して、
直球に暗く暑苦しく重々しい感じだった。
しかし『リコリス・ピザ』は、そのイメージをすっかり吹き飛ばしてしまうくらい、
軽やかで爽やかだった。そして観ている者を終始退屈させず、とても楽しかった。
好きな映画『ザ・ヴァージン・スーサイズ』や、
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』も連想させてくれた。
ネタバレいや派なので、詳しい内容はここには書かない。
けど、あのシーンや、あのシーンや、あのシーンについて喋りたい。
もしも観て、良かった!という人がいたら、会ったときに話しかけてください。
マイファーストギックリ&セカンドギックリ
5月の15日、人生初のギックリ腰になった。
日曜の昼下がり、猫を抱っこしようとしてしゃがもうとしたところ
右腰がカクンとなって激痛が走った。
今までに経験したことがないくらいの痛みでしばらく呆然として動けなかった。
だいぶショックだったけどその日をなんとか乗り切り、
その後は思ったより早く回復し、数日で元のように動けるようになった。
「すぐ治ってよかったけどギックリ腰ってくせになるって聞くし、
これからは腰に気をつけた生活を送ろう…」
そう思っていた矢先。
6月2日になんとまたギックリ腰になった。間髪入れずに2回目である。
今度は猫のトイレをしゃがんで掃除していて、立ち上がった時に腰に変な違和感を感じた。
なんというか、部品の連結部分が変にずれてハマってしまったまま動いているような、
ものすごく気持ちわるくて不穏な感じ。
にじにじと台所へ移動し「もしかしてこれはやばいかも…」と思ったその時、
デカいくしゃみが出た。
「あああっっっっ!!!!!!」
それが決定打となり、また激痛が走って二度目のギックリ腰が確定した。
泣きたかった。というか泣いた。痛くて。
この2回目が、1回目と違って回復するのに時間がかかった。
何をするにも痛くて不便でメンタルも削られ、
こんなにつらいものなのだなギックリ腰はと学んだ。
そしてキツかったのは、1回目も2回目も、
ギックリ腰になった時に限って次の朝とか次の日に締切があったことだ。
本当は何もせずにただ安静に横になっていたかったけど、
呻きながら脂汗をかきながら必死で仕上げた…。
(もっと早くやっておけという話)
というわけで私の今年の下半期最重要テーマは「ギックリ腰再発防止」になった。
今は毎日腰のストレッチをしたり整体に通ったり、
長時間座りっぱなしにならないように気をつけたりしながら過ごしている。
しゃがむ時は腰は曲げずに膝を曲げて、立つ/座るの瞬間も最大限気をつけている。
同業者の方々もギックリ経験者は多いみたいだ。
頼むからもうなりませんように。
「無言でもいいから」
イラストレーターの先輩にもんじゃ焼きに連れていってもらった。
もんじゃ焼きに行きたいです!とお願いしておきながら、
私の事情やコロナやなんやで流れに流れ、を経て
いよいよ念願のもんじゃであった。
駅で待ち合わせると、小さいお水のペットボトルを持って待ってくれていた。
大きな荷物をもって色々移動してきて喉が渇いていたので、
なんて優しい思い遣りだろうと感嘆し、
ありがたく頂戴してゴクゴク飲んだ。うれしかった。
お店に移動し、扉を開け放したそよ風が気持ちいい店内で、お昼の2時から飲んだ。
もんじゃ焼きも他のメニューもとてもおいしかった。
たくさん食べて飲んで、先輩にここぞとばかりにいろんな話を聞いた。
一番好きなのは、お友達のイラストレーターOさんと仲良くなったきっかけの話だった。
展示で出会ったOさんに興味をもち、
イラストレーターの集まりで居合わせるたびに帰りにお茶に誘った。
お互いよく喋るタイプではないけど、無言でもいいからと思って毎回お茶に誘った。
ある日、さすがに誘いすぎかと思ってその日は誘わなかった。
するとOさんが「今日は行かないの?」と声を掛けてきた、というお話し。
なんだかもう笑えるのにほろっとくるし、
「無言でもいいから」というのもすごくいいと思った。
もんじゃ焼きのお店では80〜90年代の昭和歌謡やJポップがかかっていて、
途中から「この曲は!」と、二人でイントロクイズみたいになっていった。
清志郎や中森明菜が流れ、ジュリーや吉幾三やプリプリが流れた。
ジュリーのTOKIOが流れた瞬間、
私にはめずらしく自然と体が動いてウキウキと上半身が踊ってしまった。
たぶんすごく楽しかったからだと思う。
先輩は以前ブログに、私のことを
「人一倍がんばっている」と書いてくれたことがあった。
その文章を読んだとき、ひとつ何か吹っ切れたというか、
ちょっと強くなれたというか、とにかくとても勇気づけられた。
モヤモヤしても早く立ち直れるようになった。
先輩の描く絵や作るものはとても素敵で、同じような人はどこを見てもいない。
私はときどき人と絵を間違えられたりするけれど、
そういうことの全く無い、唯一無二なあたたかく力強い作品だ。
とてもとても楽しかったもんじゃ飲み。
お昼の明るい空気も、心地よい風も、ジュリーも吉幾三も、これからもすぐ思い出せる。
思い出したら楽しくなれる。
またきっと、もんじゃに行きましょう!
はだざむゴールデンウィーク&寒暖差
もう今日で今年の5月も終わりだけれどさかのぼって、
今年のゴールデンウィークは前半肌寒くていつものGW感がなかったように思う。
3回目のワクチンをうった副反応の発熱で1日寝ていたせいもあってか、
なんだか調子がでなかった。
その後は暑くなったかと思えばまた寒くなったりで、寒暖差がこたえた。
最近になってもう寒くなるってことはなさそうなので安心している。
6月もがんばるぞ。ひとり言日記。
20220319
毎年、その年の目標やその年にしたいことを思いつくだけ挙げて、
自分だけが見られるようにサーバー上にメモをしている。
「毎年」といっても年初にまとめてやるんじゃなくて思い立ったら随時メモしていく。
具体的な行動よりも行動指針のようなもののほうが今のところ多いので、
箇条書きのメモは消されることなく、年をまたいでどんどん追加されていく。
去年追加したのは「仕事上の苦労や努力を公には見せない」だった。
そのうち「見せない」じゃなくて、苦労も努力もそう思わないくらい、
没頭してのめりこんでいられるようになりたいなあ。
どうにもたまらずモヤモヤしたり気が立ったり無闇にヘコんだりしたときに、
思い浮かべるイラストレーターの先輩が何人かいる。
私はどういうふうになりたいんだっけ、どういうふうに仕事をしていきたいんだっけ、
そうだそうだ忘れてた、軌道修正。
憧れるその佇まいを思い浮かべると、感情の波がおさまり、
誰に認められずともがんばろうと思うことができる。
夜の海の、遠くの灯台の光。
戦争や紛争のこと
【3月8日のinstagram投稿内容に加筆】
2月24日、ロシアがウクライナに侵攻してからニュースばかり見てしまい、
仕事をしなきゃと机に向かうけどパフォーマンスがものすごく落ちていた。
天災が起こって家や街がぐちゃぐちゃになった映像を見たとき、なんて事がといつも思う。
でもそれを天災じゃなく人間がやっている。
天災は防ぎようがないけど、人間ならしない選択ができたはずだ。
いたたまれない気持ちになる。
色々考えた末、戦闘にではなく被害を受けた人々への人道支援に使われる寄付先に、
今自分ができる額の寄付をした。
平時(と言われている時)でも自分の毎日は問題が山積みで、
悩みはつきないし時間も足りないし仕事が遅いから締切に追われてばかりだし一杯一杯だ。
だから有事となり大々的に報道されるようになってはじめて、
色々なことの次第を知ってネットで調べ出す。
その度に自分の無知さやぬるま湯ぶりを思い知る。
少し前ならイラン核合意問題やパレスチナ問題。
緊張が高まった時だけ気に揉んで、そしてまた自分の日々の波にのまれていく。
その繰り返しだ。恥ずかしいけど。
でももうちょっとそうじゃなくなりたいと思って、
今世界で起こっている様々な紛争問題について書かれた簡単な本から読んでいる。
ネットニュースに齧り付くより、
薄くてもいいので1冊本を読むほうが自分にはよさそうだ。
買った本は偶然にも面識のあるイラストレーターさんが装画を描いていて、
すこし気持ちが和らいだ。
聴いているラジオ番組では、いくつかの番組で「ひまわり」のメインテーマが流れた。
3月11日は東日本大震災から11年の日だった。
テレビから当時の映像が流れ、瓦礫だらけの街を見て、
冒頭に書いたことをあらためて思った。
争いや迫害で苦しむ地域の人々に、
少しでも早く、平穏な普通の日々が訪れることを願います。
仮眠ぐっすん
21時から3時間仮眠して、24時に起きて集中して作業しよう、
そしたら朝の6時には完成して送れるじゃん。
そうやって仮眠したら12時間眠ってしまった。
もちろん朝6時には送れなかった。
昔から夜型人間なので、
立て込むと睡眠時間を削ってしまう癖がなかなか取れない。
最近もその悪癖を発揮していたのだけど、限界がきたらしかった。
限界がくると3時間と思っても12時間眠ってしまうものなのだな。
己の能力を過信せず、
体力や火事場の馬鹿力をあてにせず、
夜や土日を勘定に入れず、
余裕をもったスケジューリングを。
と思う一方で、
私は来た仕事全部請けたい派なので悩ましい。
(永遠のテーマ)
しかし今ほんとはこれを書いてる場合ではなく、
やらなきゃいけないことが一杯だけどできていなくて、
かなり焦っています。わーわーわー誰か助けて。
ここだけに記す。
20211231
これを書いているのは2021年大晦日の13:19くらいです。
描く仕事は数日前におさめたのですが他の仕事がまだおさまっていない。
というか今日もおさまらない。
もうちょっと頑張って、あとは明日(来年)に持ち越して、
夜はゆっくり年越ししようと思います。
これはここに書いておかねば、ということその1。
ちーすけの骨折について今年の前半ここでちょこちょこ書いていて、
その後尻切れとんぼになっていましたが、
無事治り通院も終了となりました。
ご心配くださった皆様、ありがとうございました。
忘れもしない、1月10日の夜に骨折して、
今年はちーすけの骨折とともに年が明けた感があった。
最後の病院は8月。トータルだとけっこう長くかかった。
たいへんだったのが落ち着いてきたのは4月。
それまでは毎日もうなにがなんやら状態でコロナもそっちのけ、
外出も人との接触もとてもじゃないけどできる状況にないのでカンケー無し、
とにかくちーすけ介護と仕事しかしてない日々だった。
昼夜完全逆転シフトで夜中〜明け方に仕事していた時は
菊地成孔さんの『粋な夜電波』のアーカイブをずっと聴いていた。
無事治ってくれてよかった。
治ってからはすっかり飛んだり跳ねたりしていて、
ハタから見ただけでは骨折したことは全くわからない。
しかし療養中あまやかしておいしいやわらかいご飯をよくあげたせいで、
カリカリをあまり食べなくなりウェットフードを超要求するようになり、
ちょっとおデブになってしまった…。
来年はダイエットかもです、ちーすけさん。
書いておきたいことその2。
先日12月24日に、友だちのまさるから連絡があった。
とても難しい試験に合格したとの報せだった。
目指しているときからそのことを教えてくれていて、
私も応援していて気になっていた。
仕事をしながらコツコツ勉強して、一次試験に通って、
そして二次試験にも通って、本当にすごい。すごいよまさる(さん)。
自分のことのように嬉しかった。
まさる本当におめでとう!また、島にもいこう!
と、ここには本当に自分の個人的な日記や近況みたいなことを書いていて、
SNSより大事にしています。
こんなところまで時々読みにきてくださる皆様も、
本当にありがとうございます。
今年ものこりあとわずか。
少しでも終わっていない仕事を進めて、来年もまた一所懸命やっていこうと思います。
息切れしないよう、持続可能な頑張りで。
今年1年、お疲れ様でした。
どうぞ良いお年をお迎えください。
冷やしスクワットはじめました
最近突如スクワットを始めた。
すぐ疲れる。仕事が立て込んでちょっと無理をすると症状として何かしら体に出てしまう。
体力がなさすぎる、体力をつけないとこれはほんとにまずい気がする、
と思っていたところにイラストレーターの友だちから
「筋トレで一番効果的なのはスクワットらしいよ」と教えてもらい、
あとそれまでにも方々でスクワットは効くとちらちら聞いていたので、
思い立ったが吉日、急に始めてみることにした。
しかし私はだいぶ前にここに書いた簡易腹筋も、
その後見事に三日坊主で終わった人間だ。
とにかく効果よりもまず続けることを優先するため、
一日3回にしよう!それなら嫌にならずにできる!とものすごくハードルを下げた。
3回って少なすぎるなとさすがにすぐに気付き、
10回、そして15回はやるようになった。
これを1日3セットくらいやるのがいいみたいだけど、
たぶんそれではまた三日坊主になるので、とりあえず今は1セットにしている。
今日で5日目。いつまで続けられるだろうか。
○○までが個展
東京での個展が無事終わりました。
お世話になった皆様に、ただただ御礼申し上げます。
おうちに帰るまでが遠足、ならぬおうちに帰るまでが個展、
ではなくて「会期後の作業をきっちり終わらせて次に繋げるまでが個展」
をモットーに、
さらにそれ以外の別の新たなことも詰め込めるだけ詰め込んで、
慌ただしくバタバタと毎日をすごしています。
時間があるとすぐ横になってしまうなまけものなので、
詰め込んだ方が自分にはちょうどいいみたいです。
個展作品のアップ作業も進めているので、出来上がりましたらお知らせいたします。
東京にいた間にぐっと冷え込み寒くなりました。
その後はまたあたたかくなったり、日中と朝晩の寒暖差が激しかったり。
季節の変わり目、どうぞご自愛ください。
2020年映画生活ふりかえり その2
もう8月も終わりになってしまった…。前回の続き…。
と、下書きに書いて保存していたのだが更に時が進み9月も終わりになってしまった…。ああもう。
もはや自分のための備忘録ですが、前回書いた項目についての詳細。
【今泉力哉監督】
一昨年『愛がなんだ』を観て他の作品も観てみたいと思い、他の作品をどんどんレンタルして観ていたのだけど、一番凄かったのが『退屈な日々にさようならを。』だった。トラウマ級に衝撃だった。『こっぴどい猫』もすごく好き。今年公開の『街の上で』も観に行った。
【アッバス・キアロスタミ】
昔からいろんなところで「名作だ」と聞きあらすじもおもしろそうでずっと観たい観たいと思っていたのに全くレンタルにならず、映画館の特集上映で観る機会もなく、レンタルになったかどうかこまめにチェックしていたのに一向にならない名監督の作品群がある(ロメールも今のところそう)。そして一向にレンタルにならないのでちょっとチェックを怠った隙にいつのまにかデジタルリマスター化され一斉にレンタルになってて私あれだけ折にふれてチェックしてたのになんか釈然としない、という、“巨匠の作品、いつのまにかレンタルなってるやないか問題”というのが自分の中にある。昨年のそれがアッバス・キアロスタミ作品群だった。しかもディスクのパッケージデザインもシリーズ化されてかわいくなっちゃって。さっそくレンタルして鑑賞した。
ずっとずっとずっと観たかった『友だちのうちはどこ?』をやっと観れて、ささやかで可憐な白い花に心をわし掴まれて一気にパアアッと持っていかれる感じにとても感動してその読後の清涼感(正確には鑑賞後だけど)がものすごくてああよかったなあとうっとりしていたら、続編の『そして人生は続く』『オリーブの林を抜けて』もなんじゃこりゃめちゃくちゃ面白い!映画って面白い!というおもしろさで、本当に観れてよかった。昔松江哲昭監督が映画『ルック・オブ・サイレンス』のパンフレットか何かで「ドキュメンタリー(ノンフィクションだったかも)というのは映画作品を作る手法なのだ」ということを言っていて、映画内容ともあいまって「うおおおなるほど」といたく腑に落ちてびっくりしたのだが、これもまさにそれだと思った。そして皮肉にも松江監督のそのやり方がわるい方に作用してしまって起こったのが『童貞をプロデュース。』問題なんだなと、のちの舞台挨拶事件の際に思うこととなった。
脱線したので戻ります。前述の『友だちのうちはどこ?』『そして人生は続く』『オリーブの林を抜けて』の3本は「ジグザグ道三部作」といわれている。他の作品もリマスター化&レンタル化されていたので『桜桃の味』『ホームワーク』『トラベラー』などもこぞって観た。『トラベラー』もすごくよかったな。初期作品がやっと観れたので晩年の『トスカーナの贋作』と『ライク・サムワン・イン・ラブ』も観た。『ライク・サムワン〜』のあの加瀬亮、最高すぎるんですけど。キアロスタミってすごい。ああ、誰かとジグザグ三部作の話が、キアロスタミの話がしたい。
(と思っていたら、ザ・シネマメンバーズでも配信になるとの報せが。うれしい。観返そう。)
と、もうなんの体裁も気にしていない独り言みたいになってしまいましたが、今日はここまで。
・さらば友よ
・やっぱりロメール最高
・ツァイ・ミンリャン
・ホン・サンス!
はたぶん、数ヶ月後か来年かに書くのかもしれない。
いまさらながら2020年映画生活ふりかえり その1
昨年末に書いておこうと思ったけど間に合わず、
まあ年始にやればいっかと思ってたらちーすけが骨折したり仕事が忙しくなったりで
どんどんできなくなって時間がたってしまったのだけど、超いまさらながら書くことにした。
2020年に観た映画についてのふりかえり。
昨年2月に「今年は去年よりもたくさん観たい。」と書いていたのだが、その後、
・新型コロナウイルスの影響により出かける機会が激減したこと
・この監督の映画は他にも観たい!と思う作品が多く芋づる式にザクザク観たこと
・春から『倫風』の山下トシキさんの映画コラム連載のイラストを担当するようになったこと
・夏からは『ザ・シネマメンバーズ』で連載をするようになったこと
・それに伴って自分もザ・シネマメンバーズに入会したこと
が相まって、結果的に前年よりもだいぶ沢山観ることができた。→観たリスト
そして量だけでなく、観る映画観る映画とてもおもしろくて、
映画を観る楽しさや喜びをあらためてたっぷりと感じさせてもらった1年だった。
キーワードで自分的重大トピックを厳選すると、
・今泉力哉監督
・アッバス・キアロスタミ
・さらば友よ
・やっぱりロメール最高
・ツァイ・ミンリャン
・ホン・サンス!
という感じになるのだが、他にもリンチも一気に観たし、
ポールトーマスアンダーソンとも勝手に感動の再会を果たして他の作品も次々観たし、
観る機会をずっとあたためていたロバートレッドフォードの監督作も観始めたし、
充実の映画鑑賞生活だった。
今日はここまでにして、その2に続く。
ちなみに私は映画をものすごく沢山観るわけでもないし詳しくもない。
相変わらず新作には疎いし家での鑑賞が主だし趣味とよぶのも気が引けるし、
本当にただただ観るのが好きといういち映画ファンの素人だ。
このふりかえりも自分の自分による自分のための完全なる自己満足だ。
なのでご興味あるかただけどうぞ読んでやってください。
ちーすけの近況 続き
ありがとうございました!と前回締めましたが、
ちーすけの病院、来月も行くことになりました!
レントゲンを確認したところ、完全にくっついてるとはまだ言えないため、
1ヶ月後にまた撮ることに。
でも安静にとの指示はめでたく解除になりました。
まったく、せっかちな世話主です。
ちーすけの近況
脚を骨折していたちーすけ、ようやく治ってきました。
あとは次に病院に行った時にレントゲンを撮って骨の様子を確認して、
先生から安静解除のお墨付きをもらうのみとなりました。
1月10日から家族で交代しながら24時間ちーすけをみて、
抱っこしてトイレに連れてって、動きたがるのをなだめすかして、
私は夜シフトのため昼夜大逆転生活になり、今まで怒濤の日々だった…。
ギプスが取れたと思ったら脚の皮膚がえらいことになり、
また慌てて病院へ行ったのも大変だった。
ちーすけ、家族、私、よく頑張りました。(ほんとに大変だったので、自ら褒める。)
でももっと大変なにゃんこをずっと介護している方々もいるんだよな。
もちろん猫でなくて人も。
いつも忘れないようにしたいと思います。
治療や病院のことで相談にのってくださったAさんという方がいて、
とても親身になってくださり、色々教えてくださり、
ちーすけにおいしいカリカリやちゅーる、私にまでとても素敵な猫グッズを送ってくださった。
また、仕事関係の方々には事情を連絡し、いくつか締切を調整していただき、
あたたかい言葉をたくさんかけていただいた。
そして無理に手術を勧めず、焦らせずに
治療法について色々と考えてさせてくれた担当医の先生に感謝です。
ちーすけを「ちーちゃん」と呼んでくれます。
本当に本当にありがとうございました。
20210319
最近、なんだかとても忙しかった。
仕事の悩みや葛藤もあったし(それは常にあるといえばあるのだけど)、
心ない言葉にぐったりしたり悲しくなったりもした。
それとは関係ないけど、新しい絵の描き方にチャレンジした。
とてもわくわくして楽しかった。
感動があった。
「感動がほしいの?技術がほしいの?」とは、
パレットクラブで赤勘兵衛先生に問いかけられた言葉だ。
私はそのとき、考え込む間もなく「感動がほしい!」と思った。
そして、そう即答する自分を発見し、新鮮な気分だった。
感動とはまったく高尚なものでもいいものでもなくて、
その漢字の通り、心が感じてただ動くことだと思っている。
教会とかのてっぺんにある大きな大きなベルが揺れて、リンゴンと鳴り響くように。
突然現れた誰かに両肩を掴まれて、ゆさゆさゆさと揺さぶられるように。
20200319
近況
我が家の猫、ちーすけが左後ろ脚を骨折してしまった。
深夜の救急に行ったり、整形外科のある動物病院を探したり、
なだめすかしながら車で30分かけてそこに通ったり、
家で暴れたり動いたりしないように見守り&介助したり、
「寝てろ〜寝てろ〜」と念じながら傍らで息をひそめて仕事をしたり、
いろいろと大変だ。
安静にしなければいけないけど動こうとするので、それを阻止するのに苦労している。
でもそんな中であらためて思うのは、
同居の家族と協力して面倒を見られるのがとてもありがたいということと、
ちーすけが本当にかわいくて愛おしいということだ。
ちー、はやく良くなってな。
世話主、世話も仕事頑張るからな。
そうだったらいいのにな
イラストや仕事のことなどでうまくいかないことが続いてちょっと落ち込んでいる時に、
昔NHKの「おかあさんといっしょ」で聴いたこの歌のサビを急に思い出してくちずさんでみた。
気持ちよく開き直ったような気分になって、心が少し軽くなった。
そうだったらいいのにそうならなかった現実や、
そうできなかった自分の弱さや力不足や、
ほんとはそうしたかったんだという正直な願望も潔く認めているようで。
大人になってからのそういう感情を童謡のあの明るいメロディーで歌い飛ばすというのがミソなんだなきっと。
なのでまた、落ち込んだらくちずさもうと思います。
♪そうだったらいいのにな
♪そうだったらいいのにな
ちなみにサビ以外は全く覚えていなかった。
さ、今日も仕事がんばろう。
●「そうだったらいいのにな」
https://www.youtube.com/watch?v=xqefpO6HCM8
またまたマイルームシネマのこと
時が経つのが恐ろしくはやい。
ということで今月もマイルームシネマが更新となった。
今回はホン・サンス監督の『正しい日 間違えた日』という映画です。
ホン・サンス映画はザ・シネマメンバーズで8作品配信されている。
年代順に全て観て、最初は「?!」となることも多かったのだけど、
たぶんこの8作品全て順番に観るというやり方が面白さを増大させてくれて理解度も深めてくれて、とても楽しめた。
おかげで色々と興味が広がって、その8作品以外のホン・サンス映画や、
女優のキム・ミニが出ている他の監督の映画も観るようになった。
映画を8本観るというのはなかなか大変だけど、ホン・サンス作品は短いものが多いし、
新型コロナウイルスもまた感染拡大しているし、おうち時間におすすめです。
ミニシアターやヌーベルバーグが好きな方や、
そうでなくてもご興味持ってくださった方はぜひ。
ところで、“映画監督とミューズ”というと、あなたは誰と誰を思い浮かべますか?
ああ、誰かとホン・サンス映画の話がしたい。
映画って本当におもしろいです。
→ 楠木雪野のマイルームシネマ vol.4『現在進行形のミューズ』
ふたたびマイルームシネマのこと
前にも書いた『マイルームシネマ』の件ですが、あれからvol.2、vol.3と更新になりました。
vol.2はロメールの『飛行士の妻』、vol.3はツァイ・ミンリャン監督の『愛情萬歳』
という映画について描いて書いています。
よければぜひ見て読んでやってください。
→ 『楠木雪野のマイルームシネマ』はこちら
この2本、ほんっっっっっっっっとうにおもしろかった。
そして大好きになった。
紹介文と絵を描くからというのもあるけど、何回も観た。
そして何回観ても全然飽きない。好きだ。
ツァイ・ミンリャン監督については3作目『河』の話もしたくてうずうずしているのだけど
周りにだれも観た人がいない。ああ、誰かと『河』の話がしたい。
他にも『ザ・シネマメンバーズ』の配信映画は本当に良いです。
仕事をいただいているの身なのであんまり褒め騒ぐと
サクラみたいに見えてご迷惑をかけないかと気になってしまい、
SNSなどでは控え目にしているけど、
もちろんサクラじゃないしここは自分のサイトだし、ここでは声を大にして言いたい。
お世辞ぬきの忖度ゼロで本っ当に良いです。会員になってよかった、私は。
サブスク月額500円(+税)は、安い。安すぎる。
激安すぎる。
自分の知らない世界や到達しえない世界を、
美しくおもしろく楽しく悲しく切なく鋭く 見せてくれる映画。教えてくれる映画。
そして時々、ほら、と肩をたたいてくれる映画。
これからもいろんな映画をたくさん観たいです。
コマドリ 泣く 秋の光
昼間に外に出ると秋の光が射していた。
薄くてまぶしくて白い。綺麗だった。
秋の光といえば
「コマドリ 泣く 秋の光」。
美しい言葉たち。
映画『アルファヴィル』より。
雑記 20201020
今年の秋は爽やかで涼しいですね。
最近はだいぶ寒い日もちょこちょこあって、
そろそろ暖房いる? 冬本番小物使う?と思うことも多い。
(現時点ではまだつけてないし、使ってないけど。)
去年の10月はこんなに寒くなかったよなあ、11月に入っても寒くなくて、
半ばくらいでやっと暖房つけたよなあ、となぜかくっきり覚えていて、
過去の気温が見られるサイトで確かめてみたら
やっぱり去年は11月半ばまでほとんどと言っていいくらい寒い日がなかった。
→ 2020年京都の気温 10月
→ 2019年京都の気温 10月 11月
この『過去の天気』サイトが私はとても好きで重宝していて、
夏や冬はしょっちゅう覗いて昨年やその前とくらべて、
いつ暑さや寒さが和らぐかの目安にしている。
マエケン!
9月5日 『前野健太、新時代のボソ語り』(5/10振替公演)京都紫明会館
9月22日 無観客生配信ライブ【今の時代がいちばんいいよ】MANDA-LA2より
9月27日 ラジオ日本『前野健太のラジオ100年後』最終回
という感じでマエケン!なここしばらくだった。
9/5のライブは「池袋で」〜「防波堤」〜「love」の流れが最高で涙が出てマスクが濡れた。
特に「防波堤」が通常と違うアレンジで、
いつもがズンズンチャ、ズンズンチャ、だとしたらこの日は
バ バ バ バ バ バ バ バ という感じで抑揚ないリズムで弾いていて
それがものすごくかっこよかった。
ライブが良すぎたのと主催のソーレカフェさんの少しでも何かになればと思い
一人でガンガン缶ビールを買って飲んだ。
そしたらアンコール時どうしてもトイレに行きたくなって痛恨の中座。
まったく小学生かよ。何歳だよ。そんなことしてる人、誰もいないよ。
でもいいんだ。良いライブなら私はガンガンビールを買って飲むんだ!
それが歌い手や演奏者や開催者への謝意と敬意の表し方のひとつなんだ!!
とトイレで力強く自分に言い訳する。
帰り道にも飲んで、次の日二日酔いになった。
コロナ禍以来、はじめてのライブだった。
9/22の配信ライブは「ダンス」〜新曲「燃えるみみかき」がよかった。
ダンスは久しぶりに聴いた気がする。
あといつも最高に美しい「興味があるの」も。アマクサマンボもかっこよかった。
ファックミーも、今の時代がいちばんいいよも。
部屋で日本酒を飲みながらみていたら気分が良くなりすぎて、
次の日振り返るとだいぶ酔っぱらってたかもと思った。
なので後日、アーカイブで再度ちゃんと見なおした。よかったです。
9/27『ラジオ100年後』最終回。ラジコタイムフリーで聴いた。
そうそうこれをエリアフリーで聴くために私はラジコプレミアム会員になったのだ。
終わるのが本当に残念。
どんな回が印象に残ってるかなあと思い出そうとしたら意外とあまりパッと出てこなかった。
でも永六輔さんの「生きているということは」が流れた回とか、
最近だけどコロナ禍でマエケンがひとり街から実況するように届けられた回とか、
歌のソムリエとか、そのへんかなあ。
4年間ありがとうございました&お疲れ様でした。
マエケンは一生聴くし一生ライブに行くと決めているので、
これからも元気でずっと歌っていてほしい。
→雪は降って 私たちは歩いた。
→さみしいだけ
続かない続きとマイルームシネマ
前回の雑記から4ヶ月以上たってしまった。
今まで「続く」みたいなことを書くと100%続かないここの日記。
今回ばかりは思い切りはっきりと「続く」と書いたんだから
さすがに続きを書かねばと思っていたけど、
やっぱりタイミングを逃すとどうにも書けなくなるもので、断念することにした。
ナイナイのオールナイトニッポンや爆笑問題カーボーイのことなどを書こうと思っていたのですが。
相変わらずラジオを聴きながら仕事をして、日々過ごしています。
* * *
お知らせには書いていたのだけど、
「ザ・シネマメンバーズ」という映画配信サービスのサイトで
「楠木雪野のマイルームシネマ」という連載をもたせていただくことになった。
お話をいただいたときは驚いて嬉しくて腕にぞわわわと鳥肌が立った。
こんな瞬間のために生きてる、と、大げさかもしれないけどそう思った。
月1回の更新です。
よければぜひ見てやってください。
●楠木雪野のマイルームシネマ vol.1「彼女の部屋」
https://members.thecinema.jp/article_features/vM2wO
さよなら&ただいま、ラジオ。
ここ最近ラジオが目まぐるしい。(使っているのは耳ですが。)
前にちょろっとラジオのことを書いたと思ったら なんとその直後に、
日々の楽しみと元気のもとになっていた『ラジオすっぴん!』が
3月半ばをもって終了することが発表された。
ええええとうちひしがれながら残された時間を慈しむように最終回までの放送を聴き、
とうとう来てしまった最後の放送日、3月13日の金曜日には、
私がすっぴんを聴くようになったきっかけである先代月曜パーソナリティ、
宮沢章夫さんのゲスト登場に歓喜して小躍りし、
(宮沢さんは本当はその週の月曜日にゲスト出演するはずだったが
国会中継による放送時間短縮のため出演がなくなってしまい
ものすごおおく意気消沈していたところ、
最後の最後に急遽またゲスト出演が決まったというなりゆきがあった)
そして、高橋源一郎さんがこの日のために書き下ろしてきて朗読した短編小説、
『さよなら、ラジオ』に涙した。
すっぴんが終わったのはさみしすぎるし残念すぎるしまだまだ聴きたかったけど、
始まったものはいつかは終わるんだと自分で自分を励まし、
高橋源一郎さんの新しい番組『飛ぶ教室』を聴いたり、
大好きだった金曜日のコーナー『高橋ヨシキのシネマストリップ』が
2冊の本になっていたのでamazonで買って読んだり、
そういうことをしてすっぴんロスを和らげた。
その後コロナウイルスによるSTAY HOMEが助長したところもあって、
他の好きだった番組は前にも増してがっつり聴いて楽しむようになり、
今まで聴いたことのなかった番組を聴いてみることも増えた。
ラジオは自分にとって再び毎日に欠かせないものになり、
大事な友だちとか“おもろくて大好きな先輩”みたいになっていた。
なんか長くなりそうなのと書くのが疲れてきたので、続く。
雑記 20200507
ゴールデンウィーク明けの今日はとても爽やかな天気の一日だった。
風がびゅんびゅん吹いて。
今日はこんな曲を聴きながら仕事していた。
本当になにもないただの雑記。
●Hand Clapping Rhumba 2000
https://www.youtube.com/watch?v=uVFCr2H2YLA
ゴールデンウィーク 2020
今年の4月は寒かった。
でも最終日の30日からやっとぐぐっと気温が上がって、
暖かいどころか暑くなり、
5月2日の今日なんかは25度を越える夏日だそうだ。
3月後半から、そして4月まるまる1ヵ月、
コロナウイルスのことでずっと気持ちが落ち着かず、
自分は元から在宅ワークでその点は変わりないはずのになぜか仕事をするときも落ち着かず、
集中力が低かった。
だけどゴールデンウィークに入って少し落ち着いて、仕事にも集中できるようになってきた。
たぶん、蓋を開けてみたらコロナ禍にあってもゴールデンウィークはいつものゴールデンウィークだったので(※自分にとって)、
「いつも通り、例年通り」という感覚に心身が安心して、
落ち着きを取り戻したのではないかと思う。
私にとってゴールデンウィークはここ数年、
「人や会社が休んでいる間にがりがり仕事する週間」になっている。
そして特に今日みたいな5/2土曜日、つまりゴールデンウィーク序盤というのは、
GW前の締切から解放され、GW明けの締切まではまだ猶予がある、
ほっと一息つける貴重な時なのだ。
クライアントからメールは来ないし、こちらもメールしなくていい。
ぽかぽか陽気の中(室内だけど)、
描き机かPCに向かって、好きな音楽やラジオやキヨシローさんを流して、
去年の今ごろのことを思い出したりしながら、黙々と仕事をする。
ほとんど飲みにも行かないのだ。
休みだ!と浮かれる気持ちも全くない。遊びにも行かない。
でもこれはこれで贅沢な時間で、
そんなゴールデンウィークが私は好きだ。
お盆や年末年始とは、共通点はあるけどちょっと違う。
そういえば不定期で気まぐれなこの日記も、意識していなかったけど
気付けばゴールデンウィークによく更新している。
2018 2017 2016 2015 2014
無口な人間のマシンガントーク
コロナウイルス感染拡大防止のため、人との接触の機会を極力減らし、
身内以外で接する人は買い物時店員さんとのみ、という日々。
だったけど昨日、必要があって友人と会う機会があった。
正確に言うと、必要があって行った場所に友人がいた。
お互いマスクをして、2m離れて話した。
早めに切り上げようと思っていたけど、話す事が次から次へと溢れ出てきて、
基本的に口数少ない自分にはめずらしく
「マシンガントークだったなあ」と思うくらいするすると喋った。
(ちゃんとマスクはして、静かに。)
まあ、親しい友人だったのと、タイムリーな話題が沢山あったからというのもあるけど。
こんな時なので友だちとオンラインで会話はしても、直接は誰ともずっと会っていなかったので、
生身で同じ場にいてたわいもないことを話せる良さがあらためて沁みた。
ちなみにこの友人は、数年前に受講した鈴木成一装画塾で知り合った。
荒野の二人展を一緒にやってる朝野ペコさんとも鈴木成一装画塾で知り合った。
もちろん人との出会いだけでなく、学ぶことが沢山あった。
イラストレーターをやっていくための活力も沢山もらっている。
私は鈴木成一装画塾が心から大好きです。
下のイラストは鈴木成一さんを描いたもので、
毎年「今年描いた自分のイラストでこれが一番よく描けたなあ、と思うやつ」てのがあるのだけどこれは2017年のそれです。
雑記 20200423
サイト(WORKS)を更新したのでリンクチェックがてら関係ページを閲覧してちょっと遡って読み返していたら、
年始にとても感銘を受けてお知らせページにアップした祖父江慎さんの言葉が今この状況にあってまたピカピカグサグサと光を放ち刺さってくるのでここにも転載しておこうと思う。
『 2020あけましておめでとう
デザインとは変化することができる力のこと。
過去の慣習的な行動を客観視でき
そこからいつでもさよならできる力のこと。
今までとは違う生活を受け入れることができる力のこと。』
コロナウイルスのこと02
なんか色々ここに記録しようかと思っていたけど、
それより先に日々が目まぐるしく過ぎていってしまう。
4月7日に7都府県を対象に出された緊急事態宣言が、16日には全国に拡大された。
狂騒と言ってみたいけどそう呼ぶには深刻で切実で重たすぎる様々な問題が
毎日繰り広げられている。
腹立たしいことや「…はい?」と問い直したくなることも多々あり、
時々ニュージーランドが羨ましくなる。
毎日ニュースや専門家の発信をチェックして、
門外漢なりにグラフを見て、nhkのコロナウイルスに関する特番をみて、
いくつかの署名をしたり、クラウドファウンディングに参加したり、
なじみの飲食店でテイクアウトをしたり、そんなことを黙々とやっている。
並行してウイルスのことを少し勉強して前よりは知った。
知ると怖さは減らなくても迷いが減って行動が決まる。
ちゃんと知ることの大切さを噛み締めている。
あとウイルスって、すごいユニークな存在なんだなと。(ニュートラルな意味で)
一日も早く終息しますようにと家の前のお地蔵様に毎日お祈りしつつ、
(「祈る」という行為は個々人の内面にとってはとても生産的で効果的なんだなあと最近よく思う)
長期戦も覚悟している自分がいる。
これまでの普通がいつか戻ってくると考えるよりも、
これからの新しい世界でどう過ごしていくかと考える方がよいのではと思う時もあるし、
実際そう考えている部分もある。
コロナとは関係ない前からの悩みや問題だって通常運転で健在だ。
疲れたときは音楽を聴いたり本を読んだり映画を観たり、
そういうことは変わらない。
五味太郎さんが、「じゃあコロナ前は安定してた?居心地がよかった?」と
インタビューでおっしゃっていた。
色々コロナ問題とごっちゃにしたり、
関係ないことをそのせいにしたりしないように気をつけないと、とも思う。
また書いてることがとっちらかってきたけど、
とにかくやれることを粛々と。意思なく流されることなく。
変わる所は変わるし変わらない所は変わらない。
怒りはちゃんと表明して爆発させる。
ときどき少しの勇気を出したり大胆なパラダイムシフトをしたりして、
自分の足でしっかり立って進んでいきたい。
コロナウイルスのこと
3月末にとてもモヤモヤしていて、
少し自分の考えや方針を整理してfacebookに投稿したら気持ちが落ち着きました。
こちらにも記録しておこうと思います。
投稿は4月2日の晩に書き、3日の朝にアップしたものです。
その後、状況はより深刻になり色々な変化もありますが、
ひとまず4/3時点で自分の思った事を備忘録として残しておきます。
facebookの投稿なので、友人知人に向けたものでもあります。
* * * * * * * * * * * * * * * *
【4月3日のfacebook投稿内容(一部表現は変更)】
コロナ対策、色々勉強しながら自分にできることを実践中です。
まだ不安や迷いもあるし、正直先月半ばまで甘く考えていたところがありましたが、感染のしくみを知り、他の感染症とは違うやっかいさや怖さを知り、海外の状況を知り、自分が無症状感染者だと仮定して人にうつさないような行動をとるという指針ができてからはちょっとすっきりした気がします。
お世話になっているギャラリーや飲食店の皆様にはいろんな苦渋の決断があると思います。私も世の感染のリスクを少しでも減らす、なるべく出歩かないということは最優先にしながら、状況が許す限りは自分のできることを探していきたいです。
家族にうつす事があってはいけないことと、上記の行動指針から、誰かとわいわいおしゃべりしたりご飯を食べに行くのはしないことに決めました。
でももしも一人でふらっとお店に現れたときは、アイコンタクトでうんと頷いて、あとは放置してもらえればと思います。一人で静かにおいしいものを食べて帰ります。もとの性格も手伝って、会話なしでも全く苦にならないです。
テイクアウトができるなら積極的に利用したいです。
なんかモヤモヤしてたのですが書いたらすっきりするので書きました。
仕事は前から引きこもりなので、変わらずがんばります。
皆様もくれぐれもお気をつけてお過ごしください。
※状況が悪化すれば、外出自体できなくなることもあるかと思います。これは京都に住む4月3日時点での自分の方針です。
* * * * * * * * * * * * * * * *
【補記】
この時は、というかこれよりだいぶ前から、
自分が引きこもる、自粛するのは全く苦にならなかった。
ただ、近い距離での会話が危険、店内で喋りながらの飲食が危険、という事がわかってきて
数少ないお世話になっているお店に 困っている時だからこそと行けないこと、
力になれないことが心苦しかった。
ダーク・ディグラーとの再会
先日、映画『ブギーナイツ』を観て、
個人的にあっと驚く事件が起こった。その記録。
私は『パンチドランク・ラブ』という映画が大好きだ。
これは友人がdvdを貸してくれて2012年に観て、一発でコロっと好きになった。
そんなにコロっと好きになったにもかかわらず、
そしてこのポール・トーマス・アンダーソンという監督の、他の作品も絶対面白いんだろうなと思ったにもかかわらず、
その後なかなか同監督作品を観ることをせず、
よく耳にしていた『マグノリア』も『ブギーナイツ 』も「そのうち観るリスト」にずっと入りっぱなしになっていた。
そしてやっと昨年、2019年の年末に『マグノリア』を観て、
案の定というかまんまとというか、
これもまたコロッと「くーっ!おもしろい!好き!」となり、
次は『ブギーナイツ』を観るぞと意気込んで、
今年に入ってツタヤディスカスでレンタルして、夜中に一人観ていた。
観始めてしばらくして、
「ん…?」
「あれ…?」
「これって…?」
「これってもしかして…」
「ダーク・ディグラー!!!!!」
私の頭の中でピカーッと、強くライトが光った。
実際に映画においても
ダーク・ディグラーという名前が初めて出た時にネオンで文字がピカーッと光るシーンがあるのだが、
この時まさに私の頭の中も、点と点が繋がって線に電気が走って、
電球がピカーーッと光ったようになったのだった。
「君だったのか、ダーク・ディグラー…!
そしてブギーナイツだったのか、あの映画は…!
久しぶりだね…」
* * *
遡ること19年、2001年の夏。
その時私は高校3年生で、毎日リップスライムのアルバム『FIVE!』を聴いていた。
このころリップスライムがすごく好きで、
夏休みは受験勉強しながらこのアルバムばかり聴いていた。
その『FIVE!』に、MELLOW YELLOWという
リップスライムの先輩グループをゲストに迎えた『Freak Show』という曲がある。
その曲の中の、MELLOW YELLOWのK.O.H.E.Iさんという人のラップのパートで、
「左曲がりのダンディー登場!
ダークディグラーの様に例の場所強調」
というリリックがあった。
あとに続く内容からもこれはなんかエロいやつなんだなという想像はついたのだが、
その後でたまたま読んだ音楽雑誌のインタビューで
「ダークディグラーというのは映画に出てくる絶倫ポルノスターの役名で、そういうのを歌詞に入れ込んでくるK.O.H.E.Iさんはやっぱすごい」
というような事をリップスライムの誰かが言っていた。
その時はただ「へー そうなんだー」と思っただけだったけど、
妙に印象に残っていた。
そしてそれからまたしばらく後のこと。
記憶は定かではないが、高校3年生か大学1〜2回生の頃ではないかと思う。
その頃私は映画にはまだほとんど興味がなかったのだが、
テレビの深夜放送が好きで、
深夜の音楽番組やお笑い番組を好んでみていた。
ザッピングするうちにたまたまドキュメンタリーや映画をだらだらと観ることもあり、
おもしろかったものは断片的にだが今でも記憶に残っている。
そしてとある日、
その日もそんなふうにして成り行きで深夜に放送していた映画をみていたら、
それはなんと、ダークディグラーの映画だったのである。
「えっ!これ、リップスライムの歌に出てきたダーク・ディグラーだ!」
と、そんなまったくの偶然に驚き、うれしくなった。
内容も音楽雑誌のインタビューで読んだ通り、ポルノスターの物語だった。
そしてそのまま映画を観た。
なぜか映画のタイトルは全く記憶に残らなかったし、
今から思うとおおかたのシーンを覚えていなかったのだが、
「夜更かししてたら偶然リップの歌に出てきたダークディグラーの映画が観れた!」
というちょっとした興奮が、
いくつかの(えっちな)衝撃シーンと共に、
記憶にくっきりと刻まれたのだった。
そして今、36歳になった今、
『パンチドランク・ラブ』きっかけでポール・トーマス・アンダーソン監督を好きになって観た『ブギーナイツ』が、
実はその、あの時リップスライムきっかけで知って偶然夜中に遭遇した、ダークディグラーの映画だった。
まったく予期せぬ形で、再び夜中に一人テレビの前で、
邂逅を果たしたのだ。
断片的に覚えていたいくつかの“衝撃シーン”も、
これはほぼ記憶に欠損なく、ちゃんとあった。
* * *
この邂逅はなんだか思いのほか感動的であり、
しかもその感動は時間がたつにつれジワジワと大きくなっていった。
10代後半の、昔の自分と出会い直したようなうれしさ。
「ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画、ずっと昔に、
しかもああいう偶然によって、観ていたんだ私。
パンチドランク・ラブが初めてじゃなかったんだ。」という気持ち。
好きな音楽と映画と自分が結びついて、
一度ならず二度も、しかも20年近くたって、
思いもよらないびっくりプレゼントをもたらしてくれたこと。
私という小さな人間の小さな世界に、
こんなことを起こしてくれる映画ってやっぱり本当にすごい。
ありがとうブギーナイツ。ありがとうポール・トーマス・アンダーソン。
ありがとうリップスライム。そしてありがとう、好きなものにのめり込んでいた、高校生だった私。
夜中に一人テレビの前で、驚きと嬉しさと興奮とともに、
ああ、映画って本当にいいもんですねと、また思わずにはいられなかった。
そして更に!
ちゃんと大人になってからみた『ブギーナイツ』。
これがまた本当に良かったのだ。
こんなに素晴らしい映画で、素晴らしいシーンがいくつもあるのに
あの頃の自分はなぜえっちなシーンしか印象に残らなかったのか。
まあつまり年を重ねるとはこのように素晴らしいことである。
ネタばれが嫌いなので書くのは躊躇するのだけどどうしてもこれだけ。
最後の方のとある展開でとある曲が流れてくるのが反則だ。最高。泣ける。
そしてフィリップ・シーモア・ホフマン。
これも、19年前には素通りしてしまっていた素晴らしいもの。
この映画のフィリップ・シーモア・ホフマンがこれまた最高だ。
それについてはまたさくっと書けたらいいなと思っている。
20200319
今年の3月19日はとても暖かい1日だった。
京都市の最高気温は23.1度、最低気温6.8度。
夜10時頃に外に出てもまだ暖かかった。
空気が湿ってなまぬるく、春のにおいがしていた。
それまでいた家の中が寒かったし自転車にも乗るのでダウンを着て出てしまったけれど、
ダウンは当然暑かった。
そういえば昔はこの時期、もっと軽いコートを着ていたなと思い出した。
この数年で自分の冷え性に拍車がかかっているのかも、とも思った。
はからずしも、夕食はカレーだった。
母が作ってくれていたので本当にたまたまだ。
そういえば何年か前にも、その時もたまたま、カレーだった。
ここに書いていたから覚えているのだ。
記録することは大事。記憶だけに頼ろうとするのは傲慢。
今年はお酒は飲んでいない。
カレーはとてもおいしかった。
ツイッターのタイムライン、同じように、そしてそれぞれに、思い出している方達。
自分は呟かず、そっといいねを押す。
何年経ってもその日がくれば必ず思い出して、
思い出に浸ったり、新しく何かを思ったり、
そうできることは幸せなことだ。
そしてそれはそのことを本当に大事にしているということだ。
いつか忘れてしまう時がくるのかもしれない。
でも本当に大事にしたことは世界のどこかに浮遊して漂って、
最後の砦の誰かが忘れてしまっても、確かに存在しているのだと思う。
20190319
worksページのこと
worksページ(このサイトの)にサムネイルをだーっと載せました。
それだけでだいぶ作業した気になりましたが詳細ページはまだまだ作成が追い付いていません。
しかしクリックしてページが無いのもずっと「準備中」を掲げているのもアレなので、
ページが無いものもインスタグラムにリンクさせました。
それでもまだ掲載未なものもあるのですが。
(なんのこっちゃという方は worksページ へ)
今のworksページは、初仕事から順にとにかく時系列で掲載しています。
連載仕事もあえてページをまとめずに、月ごとに時系列で載せています。
ただ時系列順というのは非常にシンプルで明瞭で力強い並べ方なのでとても好きなのですが、
掲載量も増えて見にくくなってきたし、
連載仕事はやっぱりページをまとめた方がいいとも思うし、
もうちょっと見ていただきやすく、そして探したりもしていただきやすく
カテゴリ分けにしてページ改修しようかなと考えています。
なので現状ページ、見にくい部分はありますがしばしご容赦くださいませ。
と、言い訳でもあり独り言でもある雑記でした。
やるやる詐欺人間なのでいつになるかわかりませんが、
改修できた際にはサイトにてお知らせしますのでご覧いただけると幸いです。
→ そんな時系列なworksページ
雑記 20200216
最近観る映画観る映画、ぜんぶおもしろい。
今泉力哉監督、やっとみれたアッバス・キアロスタミ監督、アランドロン祭り、他にも。
本も買ったり、映画に関するおもしろいメルマガを購読するようになったり、
イラストレーター仲間から制作現場のおもしろい話を教えてもらったり。
今年は去年よりもたくさん観たい。
Radioから
毎日ラジオを聴きながら仕事している。
ラジオを聴くのは楽しい。
中学の頃にfm京都a-STATIONのスターダストパレードという番組を聴き始めて、
fm802、好きなミュージシャンがDJをしていた番組、
そして深夜はオールナイトニッポンを聴いていた。
ラジオが人格形成に寄与した部分はかなり大きいと思う。
今は毎週必ず聴いているのはラジオすっぴん金曜日と水曜日、
爆笑問題カーボーイ、前野健太のラジオ100年後、
a-STATIONの坂本慎太郎さんのフラッグレディオ。
そしてTBSラジオのたまむすびや生活は踊るなどをその時々で。
すっぴん金曜日のコーナー、高橋ヨシキさんのシネマストリップが大好きで毎回楽しみだ。
源ちゃんのゲンダイ国語も。
大学時代、会社勤め時代は全く聴かなくなっていたけど、
今また、ラジオは心の栄養になっている。
ラジコのタイムフリー機能がなければここまで聴けていないので、
ラジコさまさまです。
DANCE TO THE POPCORN CITY
サニーデイのアルバム『DANCE TO YOU』と『Popcorn Ballads』。
どちらもCDで日頃から愛聴していたのだが、
先日ふとその2作品の曲がたくさん入ったライブ盤
『DANCE TO THE POPCORN CITY』をスポティファイで初めて聴いたら、
(これはアナログと配信のみのリリースであった)
涙が出るほどかっこよくってびっくりした。
感傷とか共感とかではなく、ビリビリ感電して涙が出るのは久しぶり。
最初の3曲の流れでノックアウト。
一瞬で連れ去られて、青いライトの光るその場で
ステージや天井を見上げて体を揺らしているかのような気分だった。
磔磔での2016年の物凄かったライブを思い出した。
僕らはみんな水槽の金魚
色とりどりの泡 泡 泡 泡 泡
これだからライブは。
これだから音楽は。
20191230
今年もあと1日とちょっと。
webサイト、9月10月に更新再開できたけどその後また締切と日々に追われ
また途絶えてしまった。今日もまだせこせこと仕事している。
毎日ラジオを聴きながら仕事をして、疲れてしまった時はお風呂で本を読んで、
音楽を聴いて、時々映画を観て、時々ビールを飲んで、飼い猫を撫でて、一年間過ごした。
夏に母が急に入院してとても不安だったけど無事退院できた。無事でいてくれてよかった。
その少し前に、れっきとした旅行なんていつぶりだろうか、友だちと島に出かけた。
島には猫がたくさんいた。友だちは猫を撫でている写真をたくさん撮ってくれた。
来年もしっかり仕事できますように。
今年やり残したことが完了できますように。
家族が健康でありますように。
2019年のおわりに。
「お元気で!」
先日、お久しぶりな方とメッセンジャーでやりとりしていた。
荒野の二人展を見に来てくださっていたことを芳名帳で後から知り、
お礼のメッセージを送ったのだった。
先方からの返信の最後に、「お元気で!」 と書いてあった。
それを読んでとても清々しく、なぜかうれしいような気分になった。
袖ふれあって、知り合いになった人達。
おもしろくて興味深くて、好感を抱く人も多い。
けれど、友だちとは違う。仕事上のおつきあいでもない。
それぞれ自分の世界と日常を生きている。
次にどこで、いつ会うかもわからないのに、「それではまた」と言い合うよりも、
「お元気で!」。
その言葉が私はうれしかった。
そういった弱いつながりに、今まで助けられてきたかもしれない。
ありがとうございました。
お元気で。
ご多幸をお祈りしています。
お元気で。
お元気で!
雑記 20190927
なんだか久しぶりにここになんか書こうかなと思って書くことも決めないまま書き始めている。づらづらだらだら書きたい気分なのでそんな感じを出すために普段のような改行はあんまりせずに書こう。
最近、といってもつい5〜6日前からだけどWORKSページの更新をやっと再開し始めました。SNSというお手軽で便利なものがあるので、忙しい・余裕が無いというのを言い訳にwebサイトを更新していなかったのだけど、更新してみるとやっぱり私まだまだwebサイトがwebページが好きだなあ更新作業も着手してしまえば楽しいなあ。スマホもSNSも、両方好きだけど。
と、そんな感じでまた更新していきますのでこのサイトに訪れてくださる皆様、WORKSページも見てやってくださいませ。まだまだ現状に更新が追いつくには先が長いし一覧には2019年1月の仕事までしか載せられてないけれど、こつこつやってまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
ついでにサイトのつくりの話をすると、リニューアルの考えは常々頭にあるしなんといってもこのサイトははちゃめちゃな作り方のオール手づくりDIYで突っ込み所もたくさんだし手づくりゆえにこのご時世にスマホ対応してないしこのページとお知らせページは長過ぎてブラウザの右端のスクロールバーが米粒みたいになっているけど、しばらくこのままやっていきます。もしここが見にくい、変に表示される、うまくリンク飛べない、こうなってたらもっと見やすい、いやそもそもやっぱりスマホ対応してないと見る気がおこらん、いや案外そうでもない、誤植発見、仕事の依頼で訪れたけど目当てのタッチの絵がこのような理由で探しにくかった、もしくはその逆、などございましたらぜひご教示いただければ幸いです。
ところで4文目に「忙しい・余裕が無いというのを言い訳に」と書いたけれど最近ツイッターでこのように書かれているのを見かけました。『「忙しくて」とか「時間がなくて」は「優先順位が低いので」の丁寧語である。』(出典こちら)。ずばりすぎて耳が痛い。自分もどこかでそうわかっていてうしろめたさを感じているのだろう、「忙しくて」「時間がなくて」は使わないけど「最近バタバタしていて」「余裕がなくて」とかしょっちゅう使っている。小手先で言葉を変えても同じことだよ自分よ。それに自分だって前からずっと、言われてやだったろうそれ。優先順位が低いんだなって思い知らされるから、透けて見えてるから。じゃあ自分もするなよされてやなことは。反省。
といってもただ、絶対にそういう状況は訪れるしすべての物事をパーフェクトには進められないし実際優先順位は存在するし体調や病気や家族のことでイレギュラーな状況というのもこの年齢になると増えてもくるしただ単にキャパ越えしてしまうことも職業柄よくあるし、せめて言い訳はしないようにしようと思う。というわけで、これからの私の遅い返信などには「遅くなって誠に申し訳ございません!」とだけ書かれていると思います。説明すべき事情がある場合は説明することもあるかもしれませんがそういうのが無いときの単なる言い訳はやめます。潔く深く、謝罪します。ああなんでこんな所でこんな宣言をしているのか。それよりも少しでも返信をはやくする努力をしろよ。もうちょっと違うことを書きたかった気がするラジオの話や本の話や言葉の話や灘本唯人展の話や書くことについての話などを。でも懲りずにまた書きますので読みたい方だけ読んでください。それではまた。
ロウ・イエ監督の映画
最近観てる映画のこと。
ロウ・イエ監督と今泉力哉監督の作品をむさぼるように観ている。
今泉監督は観始めたところだけどロウ・イエ監督作品はひと通り観終わった。
そしてどハマりしてしまった。
ロウ・イエ監督の映画を初めて観たのはパレットクラブスクール時代。
関東地方に大雪が積もって休講になった事があったのだけど
京都から夜行バスで通っていた私は前日雪が本降りになる前にもう京都を出発し、
休講の判断がなされ決定の連絡が来る前にすでに東京に着いてしまっていた。
次の日にも東京で予定があったので帰るわけにもいかず、
丸一日ぽっかりあいてしまった。
とっていた宿のチェックイン時間まで、
雪の中開いていたギャラリーに行ったりして時間をつぶしたけれどまだ余り、
「あ、じゃあ映画でも観よう」と渋谷のアップリンクに行って
『パリ、ただよう花』を観た。
好きなミュージシャンの曽我部恵一さんがおすすめしてたので興味を持っていて、
それがその時ちょうど上映されていたのだった。
その後は他の作品も観たいと思いつつずっと「観たいリスト」に入ったままだったのだけど、
最近やっと1本観て、そしたら鷲掴まれたので、
そこから一気にガリガリと、過去作品で観られるものは全て観た。
『ブラインド・マッサージ』『二重生活』『スプリング・フィーバー』
『パリ、ただよう花』『天安門、恋人たち』『パープル・バタフライ』『二人の人魚』。
ロウ・イエ監督の映画は痛くて苦しい。
『天安門、恋人たち』以降の作品が真骨頂だと思うのだが、
とにかく痛くて痛くて苦しい。
だけどその痛さや苦しさは生きていくうえでのひとつの真実なのだと観ていて思う。
そしてそれらをこんな風に描いてくれる監督がいるということに少し安心しているのかもしれない。
そういうものに無縁な人もいるだろう。
でももし興味を持った方は、1本だけじゃなくて全作品観てみてほしい。
個人的には、凄いと思ったのは『ブラインド・マッサージ』。
好きなのは『スプリング・フィーバー』。いたくるしいけど。
ロウ・イエ監督の作品はこれから絶対全部観ようと思う。
オダギリジョーがキャストの新作がこのさき公開らしくて、楽しみだ。
しい子さん
早川義夫さんのHP見に行き、しい子さんがご逝去されていたことを知る。
しい子さんのことは本でエピソードを読んでいただけだったので、
お写真を初めて見た。とても綺麗な方だった。
本とライブを通して、早川さんには色んな大事なことを教えてもらった。
しい子さんにも。
しい子さんのご冥福をお祈りいたします。
・早川義夫さんを知ってしまった
・変態はステキ
20190319
私にとって3月19日は、2014年のこの日から今までを
毎年振り返る1日となっている。
今年は静かな音楽を聴いて過ごした。
静かで硬質なピアノの音。 5年経ったんだな、と思った。
5年前を思い出すと、色々なことがただ懐かしい。
パレットクラブにも長らく行っていない。
また行って、猫のクロちゃんに会いたいな。
5年前から今まで一所懸命やってきたことや大切にしてきたことや、
決して雑にしなかったことを、
これからもそのようにやっていきたい。
と言いながら、
その1つであったwebサイトの更新が今できてなくてだめなので、
ちゃんとまたできるようにと思っている。
5年というのは、それまでの1〜4年とは少し違う重みがある。
長いとはまだまだ言えないけれど、
それなりに続けてきたと言える、最初の地点というか。
「とにかく5年、経ったんだよ」
と誰に聞かせるでもなく、心の中でつぶやいた。
山陽堂ギャラリーで開催されていた企画展、
『水丸先生のことば』。
見に行けなくて残念だったけれど、様子を友だちが教えてくれた。
Tくんありがとう。
20180319
マイスキーに捧ぐ
ニシヤマイスキーから小包が届いた。
ニシヤマイスキーこと西山舞ちゃんは
通っていた築地のイラストスクール・パレットクラブでの同級生だ。
昨年秋に長らく暮らした東京から引っ越して、今は北海道にいる。
私は彼女のとても正直なところや
酒のみなところや
サバサバしているようでしっとり優しいところや
姉御肌ぽいんだけど緊張したり困ったりしてる時の姿がかわいいところや
ブログやツイッターでたまに書いている生きてくことについてのするどく本音な考察や
そんなまいちゃんのそのまんまが絵になっている作品や、
あとものすごいネーミングの才があると思っていて、
それらが大好きで、そして尊敬している。
尊敬なんて、本人を前にして言ったことはないけれど。
小包の中身はCDと手紙だった。
彼女のバンド “マイスキー&クワーズ”のオリジナル曲『荒木町ブルース』。
昨年の夏、新宿荒木町の番狂わせというアートスナックでマイスキーの個展があり、
その一環でライブもやるというので東京に行ってこの曲を聴いた。
いたく感動して名曲だと思った。
こんな曲を作って歌えるなんて、すげーよまいちゃん。
本気でそう思った。
私はお世辞は言わない。名曲だと思わない歌に名曲だとは絶対に言わない。
それは音楽と、音楽を作り出す人達への敬意から。
夏が終わって秋、マイスキーが東京を離れる直前にもライブが行われた。
そして荒木町ブルースをCDにしてそのライブで販売すると事前の告知で書かれていた。
その時は東京へ行けなかったのでメールを送り、
「買いたいから取り置きしといてもらえる?」と聞いたら
「うん、なんなら送るよ」と言ってくれたので
急がない旨と届いたらお代を支払う旨を伝え、一旦やりとりを終えていた。
それから時々「そういやCD、まだこないな」と思い出し、
でもまいちゃんも北海道に越したばかりで忙しいし、
私も忙しかったし、
全く急がなかったので思い出してはまた忘れ、
日々に揉まれて流されていった。
そしてそのCDを、思いがけず突然に、今日郵便受けから受け取った。
添えられた手紙には、
「CD、ライブにいつか来てくれたお礼にあげるね。」と書かれていた。
マイスキーは私がCDを注文してたこと、
覚えていて送ってきてくれたんだろうか。忘れていて送ってきてくれたんだろうか。
どちらにせよ、ありがとう。
ありがとうね、送ってくれて。
でもお代はちゃんと支払いますよ。
この荒木町ブルースという価値あるものに、意義あることに、
自分のお金を使いたいのだよ私は。
(ついで言うと前にZINEも頼んでいたんだけど、
これは次に会う時に買うから送らないでいいよ。)
マイスキーは似顔絵の名手でもある。
コツコツと有名人の似顔絵を描いてインスタグラムにアップしていて、
去年の夏の個展はその似顔絵を会場一面にずらりと貼り巡らした展示だった。
その場で私も描いてもらった。とても似ていた。
ケースを開け、CDをかけた。
歌詞カードを取り出そうとすると
二つ折りになっているその間に何かもう一枚はさまっていた。
なんだろうと思ったら、
安西水丸さんの似顔絵を入れてくれていた。
なんだよまいちゃん、
泣けるじゃないかよ。
もうこれ以上
泣かせないでくれよ
ステレオからは
アンニュイないい声
“ それでも毎日 生きるだけ
ここは荒木町 ブルース ”
ゴッドファーザーといえば
先日『ゴッドファーザー PART II 』を家で観た。
映画映画言うてるくせに今までそれ観てへんかったんかあーい!という感じですが、やっと。
第1作目の『ゴッドファーザー』は2007年に、これも家で観た。
とても面白かったし語りポイントは沢山あるのだろうけど、
飛び抜けて強烈に印象に残ったことがあった。
それは、「ご飯が美味しそう…!」ということだった。
DVDはレンタルだったので手元になく、見直さないと詳細は述べられないのだけど、
家で家族揃って食事をするワンシーン。
そこで食べてたパスタとその食べ方がもうめちゃくちゃ美味しそうで、
それはそれまでとそれ以降観た映画のどんな食事シーンよりも美味しそうで、
その瞬間、私の中でゴッドファーザーといえば
「ご飯が美味しそうな映画」と刻み込まれたのだった。
もちろんそれだけではない、、というより一般的にはそれ以上に語るべき感想があると思うけど、
とにかく本当にパスタが美味しそうだった。
家庭的なトマトソース系の素朴なパスタだと思うけれど、
特に長男のソニーの食べっぷりだったかな、
何度も書くけど本当に本当に美味しそうでした。
そして先日のゴッドファーザー PART II。
これが…これがまた、
パスタが美味しそうだったのである。
若き日のヴィトー・コルレオーネがまだマフィアになる前、
家で仲間のピーター・クレメンザとサル・テッシオと3人で食事するシーン。
妻のカルメラが台所で準備したパスタを食卓に持ってきて
皿に無造作に取り分ける。
それをパクパクと食べながら相談事をする3人。
それがまあなんとも、
またしても、とてもとても美味しそうだった…。
そんなわけでゴッドファーザー PART IIも、
「ご飯が美味しそうな映画」として私の中にクレジットされたのであった。
食がテーマの映画を好んで観ているわけではないので
私が言ったところでそんなに説得力はないけど、
今のところ映画で美味しそうだった食事シーンといえば完全にゴッドファーザーだ。
バベットの晩餐会をしのいでゴッドファーザーだ。
今ここまで書いて、きっと皿への取り分け方なんかもポイントなんだろうなと思う。
無造作にドサッ、そして無造作にパクパク、といったふうな。
映画においてご飯がおいしそうなのはすばらしいことだ。
ゴッドファーザーに出てくるパスタ、食べたいなあ。
雑記 20180809
個展、地震、豪雨、死刑執行、命の危険を伴う酷暑。
仕事、名古屋行き、東京行き、夏バテ、仕事…。
と、個人的にも世の中的にも怒濤の6月7月だった。
気付けばもう8月で、立秋も過ぎている。
ここにも以前書いたけれど、
今年に入って「underground」と「約束された場所で」を読んでいて、本当によかったと思った。
読むのと読まないのとでは今回の死刑執行のニュースに対して考たことがだいぶ違ったと思う。
日本人全員が読めばいいのにという気持ちは今も変わっていない。
興味のある方は是非読んでみていただきたいと思う。
7月の酷暑があまりに酷暑だったので、
毎日京都市の気温をチェックし、今日は何度!今日は何度!
と一人興奮しているような変なテンションだった。
来年も再来年もこんなだったらたまらないけど、こんななのかなあ。
今から気が重い。
猫が熱中症にならないかがとにかく心配で、ことあるごとに水をすすめた。
普段からちゃんと水は飲むのだけど、すすめたらすすめたで更によく飲むので、
えらいねえ、えらいねえ、と言って過ごしている。
(↑曜日はSUN が正。この前日の7/14から、京都市は一週間連続で最高気温が38度を超え、7/19には39.8度を記録したのだった。勘弁しとくれやす。)
「その頃には雪野ちゃんも屍状態から回復してると思うから」
お知らせにも書きましたが、個展が無事終わりました!
お世話になった皆様に、ただただ感謝申し上げます。
→あらためてのご挨拶はこちら
そんな個展のさなかの小ばなしです。
さかのぼること1ヶ月半、
焦っていたけどまだ若干心の余裕もあった5月初旬に、
学生時代の友人Mが、
同級生のTさんSちゃんとランチいかないかと お誘いのメールをくれた。
長らく全員会っていないし、ぜひ行きたい。日にちは6月27日だった。
その5月初旬の時点ではまだ、
ここ自分のwebサイトには個展の告知をアップしていたけれど、
DMの発送やSNSでの本格的な告知はこれから開始するという頃だった。
なのでMも知らずに連絡してきてくれたのだろうと思い、
6月27日という、個展会期より後の日にちを見て、
「よかった、個展の前だったら1000パーセント行けなかった…!」と心の中で思いながら、
「行きたい!」と返信したのだった。
そして怒濤の5月半ば〜6月前半の直前期間へ突入し、
毎度のことながらいい感じにくったくたにしおれていき、
それでもなんとか無事、初日を迎えられた。
友人Mとはランチのやりとりをした後日、個展の話題になり、
「個展期間中ちょうど東京へ行く予定があるから見に行くね」と連絡をもらっていた。
そして実際に来てくれた。(彼女は関西在住。)
会場でゆっくり展示を見てくれて色々話し、
帰る間際に、じゃあまた京都に戻ったら件のランチだね楽しみだね、という話になった。
私が、
「いや〜でも日にちがちょうど個展の後でよかったよ。前なら絶対行けなかったと思うし」
と言うと、
「Tちゃんがね(※前述の一緒に行くTさん)、
ホームページを見てきよちゃんが個展するっていうのを知ってて、
会期後のこのへんの日にちならきよちゃんも来れるんじゃないかって言ってくれたの。
『その頃には雪野ちゃんも屍(しかばね)状態から回復してると思うから』って。」
えっ!そうだったの…!?と驚くと同時に、
聞いて思わず吹き出してしまった。
だってもう、ほんとにその通り、まったくもってその通りだから。
『屍状態』という言い表し方も含めて。笑
そして嬉しさが込み上げてきた。
Tさん、ホームページも見ててくれて、ありがとう。
一度ゆっくり連絡しようといつも思いつつまだできていなくて、
そんな私なのにありがとう。
そういう出来事があり「お見通し」な友だちがいることに感謝しつつ、
個展が終わり京都に戻り、猫もチャージして、
まさに屍状態から回復しています。
Tさんありがとう!ランチ楽しみにしています!
(しかも手鞠鮨のお店。へへへへへ)
(ちなみにTさんはこの人。)
六月の宇宙遊泳
宇宙遊泳してるみたいな五月と六月だ。
なんていうのは嘘で、タイトルをそうしたかったから書いてみただけだ。
曽我部さんの「sketch of shimokitazawa」をよく聴いていたから最近。
実際にはこれまでで一番、仕事の絵と個展の絵を黙々と描いていたここ2〜3ヶ月だった。
いや4ヶ月かな。
個展は6/15からスタート。まだ追い込みは続いている。
今までになく、描きながら今後の課題がじゃぶじゃぶ見えてきている。
苦しいけれどこういう感じは初めてかもしれないから逃さないようにしようと思う。
そういうわけで遊泳どころか、じゃぶじゃぶ犬かきしてもがいている、溺れないように。
飼い猫は相変わらず可愛く、
前野健太のライブは相変わらず胸を締めつけて、
友人は相変わらず話を聞くのが上手い。
君がぼくを知ってる
5月2日、今日はキヨシローさんの命日で、
今年は会社もなくバイトもなく一日中家にいて仕事をしていたので
youtubeで流しっぱなしにしていた。
やっぱりすごいなあ。
好きな曲はたくさんあるけれど、
今は「君が僕を知ってる」がいちばん好きかなあ、
なんて誰に聞かれたわけでもないのにぼんやりと考えていた。
いやでもトランジスタ・ラジオは別格だし、迷うなあ…とかね。
キヨシローさんの歌に、長期的にでも一時的にでも支えられてきた人は
たくさんいるんだろうな。
そしてこれからもそうなんだろうな。
「今までして来た悪い事だけで
僕が明日有名になっても
どうって事ないぜ まるで気にしない
君が僕を知ってる
だれかが僕の邪魔をしても
きっと君はいい事おもいつく
何でもない事で 僕を笑わせる
君が僕を知ってる 」
最近の読書備忘録、の、その後。
一つ前の雑記の続き。
『アンダーグラウンド』『わたしを離さないで』を読み終わって、
さて次は何の本読もう、と、外出ついでに嬉々として本屋へ寄った。
そんな気持ちで本屋へ行くのは人生の小確幸のひとつだ。
そして何冊かの文庫本を買った。
まっさきに読んだのは、先にも書いた『アンダーグラウンド』の続編、
『約束された場所で underground 2』。
『アンダーグラウンド』は1995年の地下鉄サリン事件の被害に遭われた方々
60名以上をインタビューしたノンフィクション作品だ。
そしてこの『約束された場所で』は、
オウム真理教の信者、元信者(当時)の数名にインタビューを行った作品だ。
巻末には河合隼雄さんと村上さんの対談も掲載されている。
詳しい感想は書かないけれど、読み終えて、私はアンダーグラウンドのときと同じことを思った。
やっぱりこれ(この2冊のシリーズ)は凄い本だ、
そしてやっぱり、この2冊をセットで日本人全員が読めばいいのに、と。
「すべての人が○○すればいいのに。」というのは危険な思想で、
普段そんなふうに思うことはない。むしろそういう考え方は嫌悪しがちだ。
だけどこの本に関してはそう思ってしまった。
全員がこの本を読んだら、日本という国はもうちょっといい国になるんじゃないかと…。
極端な考えだというのは自分でもわかっているけど、思ってしまったものは仕方ない。
とにかくそんな本です。ご興味ある方はぜひ。
『約束された場所で』を読み終わって、
今は小川洋子さんの『ブラフマンの埋葬』を読んでいる。
小川洋子さんの小説はまだそんなにたくさんは読んでいないけど、
大好きなのは『猫を抱いて像と泳ぐ』と『ことり』だ。
この2冊は本当に胸が一杯になって、「“生まれ変わっても読みたい、もしくはワープして過去の自分にアドバイスするなら絶対薦める”本リスト」入りしている。
そういう個人的なリストが小説版、映画版とある。
そんなふうにして生活をちまちまと遊んでいる。
最近の読書備忘録
最近の読書備忘録。
その1。
村上春樹さんの『アンダーグラウンド』を読み始め、奇しくも3月20日に読み終えた。
村上さんの作品は今までほぼ読んでいるのだけど、この本と続編だけは、
ずっと先延ばしにしていた。
読み出してほどなく、これはなんてもの凄い本なんだろうと心底感服し、
結局読んでいる間中その気持ちは途切れず、どんどん増幅していった。
詳しい内容や感想をここに書くことはしないけど、
「アンダーグラウンド」を、日本人全員が読めばいいのに。
と、正直思った。
その2。
これも今になってやっとなのだけど、
カズオイシグロ『わたしを離さないで』をようやく読んだ。
抑制された静かな語り口で物語は進んでいく。
彩度の低めな、グレーがかった静謐な映像が自然と頭の中に映し出される。
映画化されたというのが、とても納得できる。
“I Don't Want to Play In Your Yard”という曲が私は好きなのだけど、
(※ペギー・リーが歌ってるバージョンじゃなくて、もっと前の。)
この本を読んでいてその歌のことを思い出した。
そして全て読み終わった後にはむしょうに七尾旅人の歌が聴きたくなった。
“I Don't Want to〜”は説明がつくんだけど、七尾旅人はなんでかわからない。
でも強くそう思った。
* * *
最近の読書タイムはもっぱら浴槽の中で、
なので一度にたくさんは読めず、少しずつ読み進めていく。
1日の終わりに温かいお湯につかりながら物語の世界へ入り込むことが、
最近の私の癒し(といったらなんか浅はかな表現な気もするけど)だ。
明日から4月。
物語の持つすばらしい力を借りて、
元気を出していろいろ頑張っていきたい。
20180319
今日は安西水丸さんのご命日であり、
私にとっては2014年のこの日から今までを毎年振り返る1日でもある。
普段は忘れている過去の出来事を、
時々抽き出しを開けて思い出すということは大事だ。
そうやって懐かしく微笑んだり涙ぐんだり温かい気持ちやさみしい気持ちになったりして、
そうすることで自分の心身の健康は保たれている部分が大きいような気がする。
と書くと過去に浸ってすがっているかのようだけどそういうんじゃなくて、
過去は現在に影響を与え続けているし、
現在も過去に影響を与え続けていると思うのだ。
ここ1年でそんなふうに思う出来事があった。
過去は、その時その時は一所懸命で必死で切実な今だったわけだし。
過去は大事。思い出は大事。
それでいて「今の時代がいちばんいいよ」。
今のわたしが、今のあなたがいちばんいいよ。
そう思っている。
20170319
記しておきたい2017秋の出来事/やっと後編
今は2018年2月の終わり。
昨年12月後半にこのページの一つ前の雑文雑記、
「記しておきたい2017秋の出来事/前編」を書いてから、
ああ早く年内に後編も書かなきゃな、と思いつつ書きそびれ、
あっという間に今になってしまった。
それでもやっぱり記しておきたいので、
後編はさくっと簡単に記録…。
前編に続き、10月の東京行きでの出来事ふたつです。
まずひとつ。
BECKのライブに初めて行った。
会場はこれも初めての、日本武道館。
中学の時から好きで聴き続けてきて、なのにライブは行ったことがなかったので
生のベックが歌う様を観るのは感動ものだった。
loserやdevils haircutといった往年の名曲もたくさん演ってくれた。
blue moonも聴けてうれしかったし、
ニューアルバム『colors』の中で一番好きな「WOW」のときの
会場の盛り上がりと一体感はすごかった。
バンドはビート炸裂で色鮮やかでドラムがずんずん効いてて、
ベックは身のこなしが軽やかでチャーミングで、
オーディエンスはみんな楽しそうで、
ほんとかっこよかった。
(しかも前座がコーネリアスだったのだ。なんて贅沢!)
そしてさらにうれしかったのが、
ライブが終わり会場を出たところでイラストレーターの先輩にばったり遭遇したこと。
好きな音楽や映画や小説や、
他にも色々あるけどそういうものを自発的に能動的に、
とにかく誰に言われるでもなくしこしこと心酔するほど好きでいるということは、
時々思わぬところでびっくりプレゼントをもたらしてくれるなあ、と思い、
あらためてそれらに感謝した。
と、さくっと書くつもりが思ったより長くなってしまった。
のでもうひとつはまた後日書くことにします。
次こそきっと、近いうちに…。
記念撮影。 Cブロックだった。
記しておきたい2017秋の出来事/前編
今年の10月後半、1週間ほど東京に行った。
目的は売込みと打合せとこれだった。
和田誠さんのお仕事と、
そして日本で「イラストレーター」という職業がどうやって起こり根付き発展していったのかが、
とてもわかりやすく展示されていた。
じっくり見て、長居して出たらとっぷりと暮れていて、
帰りに見上げる東京スカイツリーがキラキラチカチカ瞬いていた。
和田さんのされてきた膨大で偉大なお仕事と、
展示を通して感じるお人柄を前に、
自分はもっともっと無口になって己のやるべきことやりたいことできることに黙々と取り組みたいと思った。
圧巻だった、壁一面(…ではとても足らず、何面にも)にプリントされた
「週刊文春」の全表紙。
その中から原画もまとまった数が展示されていた。
丸谷才一さんや、吉行淳之介さん(だったと思うのですが、メモを取っていなかったため、吉行淳之介さんはあやふやです。違っていたらすみません。他には高田渡さんなど。)
がご逝去された際に出た号の、表紙の背景はいつも黒に塗られていた。
それだけでもその追悼の意にじんとなってしまうのだが、
安西水丸さんの時だけはそうではなく、鮮やかな青だった。
展示会場であらためてそれを見ると、
またじわじわじわと、眼球に涙の膜が張っていくのだった。
* * *
「和田誠と日本のイラストレーション」展
2017/9/9~10/22 東京・たばこと塩の博物館
雑記 20171128
ハバい。まったくもってハバい。(2つ前の雑記参照)
時が経つのがハバい。
ここに書きたいこともたくさんあるのに。
やるべきこととやりたいことをやるためには
もっと頭を使って方法を考えなきゃいけない。
何かをやるたび「もっとできたら…!」と悔しい自分。
湯気が出るほど自分のアタマで考えよう。
そして考えながらも動きは止めずにまずは着手してしまおう。
ニッポン無責任時代
をBS映画で放送していたので録画しておいて、最近みた。
そしたらものすごくハマって、
しばらくはこの映画に出てきた「無責任一代男」や「五万節」
ばかり口ずさんで過ごしている。
植木等さんの若かりし頃の顔もすごくいい。
ハハハッと笑うと口がものすごく大きくなるところがいい。
「ニッポン無責任時代」に続いて、2作目の「ニッポン無責任野郎」もみた。
大島渚監督がこの2本立てを観て、
「どうしてこんなに面白いんだろう」
と唸ったというエピソードがあるそうだけど、
いやはや全くどうしてこんなに面白いんだろう。
スカッと爽快で明るくて正義感の微塵も無くて、
ほんとにいいですね。
みんなぜひぜひこれを観て、
やなことがあって憂鬱な気分になったら「♪おーれーは この世でいっちばんっ」
と歌い出せばといいと思いますよ。うんうん。
バーディヤ!
夏が終わったと思ったら9月ももう終わろうとしている。
はやい。やばい。
両方まとめてハバい。
やることもサイトの更新もたまりにたまってさあ大変。
10月、がんばっていきましょう…。
でもやることたまってるのは展示や仕事があったからで、
それはつくづく有難くてうれしいことです。
もう終わろうとしているけど、9月といえばこの曲。
●September/Earth,Wind & Fire
https://www.youtube.com/watch?v=Gs069dndIYk
ああ、なんていい曲なんだろう。
数年前から、セプテンバーといえば竹内まりやよりも断然こっちになりました。
おぼえているかい?
9月のあの日の夜のこと。
バーディヤ バーディヤ
雑記 20170914
長くて短いような短くて長いような夏が終わった。
いや長かったかな。
暑かったし、それなりにバテた。やっぱり京都の夏の湿度はすごい。
今年の夏の思い出…うーんなんだろう、
7月は東京へ行った。8月はどこへも行かなかった。
お盆にバイトしていたら、
「楠木さん…いーんすかお盆なのにどこも遊びに行かなくて…」。
社員の若い男の子が心配してくれた。いーんです。
思い出した、8月の終わりに、
友人たちとずっと前から約束してたビアガーデン。
行ってみたらいっこうに誰も来ず、電話にもでない。
日にちを間違えて、一日早く来ていた。
私ってなんでこう、こんなかな。
何の新譜も聴かず、去年の夏の音楽を今年も聴いていた。
映画はおもしろいのを、たくさん観た。
小説もおもしろいのを、何冊か読んだ。
ビールはやっぱりたくさん飲んだ。
やろうと思ったことが、いくつかできなかった。
人に悩み事を相談したら、すごい回答を返してくれた。
全体としては、無口に黙々やりたい夏だったかもしれない。
引き続き、秋も無口に黙々。
根木さんの絵
あれれれなんでこんなに日が経つのが早いんだ?
先月末からwebマガジン「ビール女子」にて、
「ビール女子のためのビール入門ガイド」を連載させていただいている。
週1回更新、全5回の連載。
週刊漫画雑誌に連載している漫画家さんはつくづくすごい。そう噛みしめてるここ最近。
「女子」とはうたっておりますが、
おとなもこどももおにーさんも、もちろんどうぞ。
ビールの楽しさ、ご一読いただければ幸いです。
さて先日、神戸三宮のギャラリー島田で行われていた
画家・根木悟さんの個展へ行ってきた。
根木さんとはひょんなことから知り合いになったのだけど、
そのかっこいい作品のたちまちファンになったのだった。個展へ行くのは3回目。
根木さんの絵は、みても何も思わない。
といったら誤解を生むかもしれないけど、それは最上級に良い意味で、である。
もうちょっと丁寧に言うと、
何も想起しない、何も思い出さない、
何も自分の奥から関連づけて引っ張ってこなくていい、その必要がない。
ただその心地よさにひたすら浸っていられる。
絵をみたり歌を聴いたり映画をみて心動かされるのは、
自分の記憶や経験とリンクしたから、ということが、年齢を重ねるごとに増えていく。
わかりやすいとこでいうと生老病死などの仏教で言う「四苦八苦」とか、挫折とか達成とか愛とか。
大人になっていろんな経験が増えて、
見たことのある景色や共感の引き出しも増えて、
無意識のうちにそこから自分の体験やそのときの気持ちを引っ張り出してきて感動していることが多くなる。
でもたまに、そんなものから限りなく離れたようなところで
ただただ何も思わずに思い出さずに、
それと対峙したときの心地よさや衝撃に浸れるときがある。
そういう機会は少なくて、とても貴重な瞬間だ。
たとえば自分にとっての今までのそれは、
北海道の野外フェスでの真夜中のUAのステージだったり、
映画『フレンチ・カンカン』のラストの色と音楽の洪水だったり、
クレーの『ニーゼン山』だったりするのだけど。
根木さんの絵もそれである。
何も思わず思い出さず、ただただ気持ち良いもの。かっこいいもの。
そしてそういうものこそが、
前述した共感型の感動よりも真に感動的でエキサイティングで時には危険で、
そんな体験が私たちが美を鑑賞することをやめられなくする。
自分なんかから離れて、雷に打たれるような、
本当に欲しいものはそういうものなんだ。
根木さんの作品をみるといつも、
原田治先生が著書「ぼくの美術帖」の中で引用されている
北園克衛さんの言葉を思い出す。
『「美」とは本来,無価値なものである.
風景や空の雲が無価値であるというような意味において.』
そしてこれは、映画監督ジョナス・メカスの、
根木さんから教えてもらった言葉。
『さらに加えれば、たった一本の描かれた線が、
あらゆる社会的 ーー 道徳的な意識をもった芸術にもまして、
より人類のためになり、魂を高揚させ、人間の心にひびき、
人間を変革させることができるのだ。
純粋なただの形、色、調子、動きの中に、滲み出る魂の美しさがある。
人間はいつもそれを知っているのだが、つい忘れ、また思い出す。』
* * *
根木悟展
2017/6/3~6/8 神戸・ギャラリー島田
雪は降って 私たちは歩いた。
京都の誠光社さんで行われた、
前野健太「100年後」出版記念トーク&ライブへ行った。
トークでは質問コーナーがあったので
この本「100年後」について聞きたかったことを質問した。
この本はエッセイなんだけど、前野さんの今までの歌から2曲分だけ
歌詞が載っているページがある。
「SHINJUKU AVENUE」と「興味があるの」という曲で、どちらも大好きな曲だった。
そしてそのページが本の中でとてもかっこよく効いていて、
どうしてこういう仕様にしたのか、そしてなぜこの2曲だったのか、
最初にページを開いた時から気になっていた。
せっかくの機会なのでそのことについて聞いてみた。
どちらかというとこういう時には聞きたいことがあれば質問するタイプなのだけど、
手を挙げて発言するのは毎回緊張する。
質問できてよかった。
この日のライブはその「SHINJUKU AVENUE」や「ファックミー」が
自分は特によかった。
新しく作ったという「いい予感」もよかった。
「くだらないでしょ、
でもくだらないことしか信じたくないの」
そんな感じの歌詞があった。
サインをもらって写真も撮ってもらって、
握手をした。
ファンなのでうれしい。
* * *
「雪は降って私たちは歩いた。」
エッセイの中で特に好きな一文。
雪は降って、私たちは歩く。
→さみしいだけ
心斎橋のコムデギャルソン
一昨年前に二人展をやった朝野ペコさんに教えてもらって、
大阪・心斎橋のコムデギャルソンへ見に行ってきた。
やっぱり原田先生のイラストは、
かわいいけどかわいいだけじゃなくて最高にかっこいい。
「原田先生、」と心の中で話し掛けた。
雑記 20170502
「元気ですか」
「元気ですよ」
自問自答して同じ所をぐるぐる。
今朝郵便局へ歩いていったら、
車が途切れて、痛いくらいに無音になった。
2014年6月の、
北山通と同じくらいの。
今日はキヨシローさんの命日か。
「愛し合ってるかい」
「愛し合ってるよ」
「好きかな」
「好きだよ」
大事な黄色い美術帖を本棚から取り出して、
詩を胸に吸い込む。
「白い四角
という緑
の立体」
5月はじめの深夜に。
雑記 20170425
暖かい日が続いて春って感じでうれしいけれど、
春は疲れやすかったり神経過敏になったりもするので注意。
映画を観ていなさすぎて、これじゃあ映画好きとは
名乗れないねというほどだったけど、
久々に観ました。4月に入って劇場で1本、今日家で1本。
今日観たのは『ハスラー2』。
1作目の『ハスラー』を観たのは9年前らしい。時の流れ早い…
予想してたのと違う展開でおもしろかった。
元々トム・クルーズが苦手なのに加えて、
若き日のトム・クルーズ演じるヴィンセントの
お子サマ若造キャラが本当に本当に本当に耐え難かったけど、
ポール・ニューマンとその恋人でなんとか中和。
我慢ならないくらいイヤなものにたまに出会うと、
ちょっと安心、自分の輪郭がはっきり再確認できるようで。
こどもよりも大人が好きだ。
「I'm back. 」ポール・ニューマンのかっこ良さよ。
北インド古典音楽の夜 2017
2年ぶりに北インド古典音楽ライブに行った。
2014年に2回、2015年に2回聴きに行っていて、
でも昨年は関西方面では開催されず、
打ちひしがれていたのだった。
その分今年は久しぶりだったので余計楽しみで、
早くから待ち遠しかった。
→2014年の北インド古典音楽の夜
→2015年の北インド古典音楽の夜
今年は「マルビハーグ」「バハディ」という曲が演奏された。
ものすごーくざっくり感想を言うと、
マルビハーグは「ザ・インド音楽!」という感じの曲で、
バハディは明るくちょっと懐かしい雰囲気もする
メロディラインの印象的な、春の気分を感じる曲だった。
相変わらずな、タブラの音とサントゥールの音。
軽妙に繊細に駆け巡って転がって飛び回るサントゥール、
やっぱりおしゃべりしているみたいな、饒舌で雄弁なタブラ。
聴いているといつも、気持ちいい温度の水面に
身を委ねて浮かんでいるような気分になる。
曲の中で一番の盛り上がりを見せる、
畳み掛けるようなスピードで奏でられる部分に差し掛かると、
やっぱり胸がいっぱいになってしまうのだった。
ユザーンと新井さんのおなじみの掛け合いにも心ほぐれて、
今年もたっぷり堪能した、北インド古典音楽の夜でした。
富豪ではあらない。そしてインスタグラム。
『花に聞く vol.13三椏』と営業活動のために、
先週木曜日に東京へ行って、今日月曜日の朝に京都に帰ってきた。
短期間だったけど盛りだくさんな東京行きだった。
お世話になった皆様ありがとうございました。
『花に聞く』は今週水曜日(4/5)まで続きますのでよろしくお願いいたします。
ちょくちょく東京に行くので「アクティブだね」「精力的に活動してるね」
と言われることが多い。
自分ではそんなつもりは毛頭なく、必要だから行っている、やっている。
そしてそれとは別にごくたまに言われるのが、
「富豪なの?」 (今まで2回言われたことがある。)
これは声を大にして否定します。ちがいます。
私はお金を使うような趣味を持っていなくて(旅行とかグルメとかエステとか高級ファッションとかいい自転車とか)、
特段使うといったら飲み代・書籍代くらいで、
その飲みも節約のために我慢することだってよくあります。
夜行バスも超安宿も多用するし、決して富豪ではありません(というか真逆です)。
そのうちそういう節約をしなくていいようになるくらい
イラストの仕事をして稼ぎたいし、そのためにやってます。
富豪なのとかやる気あるねとかまた来てるねとか言われると、
時々「そんなんじゃないやい」とモヤモヤする。
それでもこれからも、京都に住みながらちょくちょく東京へ行きます。
さて、まったく話が変わるけど、
去年からインスタグラムを始めて、
「イラストと猫写真を交互にアップする」という自分ルールを課してからは
特に楽しんでいます。
(そんな私のアカウントはこちらです。)
そして、自分がフォローしている中でも今特に好きなのが、
ビールを飲むたびこのように撮影してアップされているkentさん、
そして猫のfarfar。
一覧ページを見ていると、ほわ〜と至福。
そんなこんなで元気チャージして、4月もファイト一発。
20170319
3月19日に、2014年から今までのことを振り返るのが、
毎年恒例になりつつある。
1年、2年、3年、
変わったものはどんな風に変わっただろう。
何がなくなって、何が増えただろう。
自分はどれだけのことができたかなあ。
どれだけのことができなかったかなあ。
そしてこれから先は、どうしていこうか。
ひとつ確実なのは、
大切な思い出はいつまでもいつまでも、
思い出すたびに胸をあたため、
自分を励まして支え続けてくれるということだった。
だからずっと忘れたくないと思う。
ちゃんと覚えていて、時々思い出して、
ひきだしから取り出しては眺め、
しまって、また取り出しては眺めて、
忘れないための工夫や努力をしようと思う。
ずっとずっと覚えているよ
君が忘れても覚えているよ
★
20160319
2017年の早春
なんだか日差しが春ですなあ〜
春が来るとほっとするなあ
ここに書こうと思ったことがたくさんあるのだけど、
書かないうちに過ぎていくことが多いなあ。
てことはそれは、「今絶対に書きたいこと」ではなかったんだなー
やらずにおれないことは人は何としてでもやるもんだし、
絶対にやりたくないことは何としてでも逃れようとするもんだもんな。
と、書こうと思ってることがたくさんあるくせに
特に書かなくてもよいようなことを書きました。
『騎士団長殺し』を読んで心の中で「そうではあらない」とつぶやいてみたり、
前野健太『100年後』を読んで「くーっ」と唸ったり、
落ち込んでたときにたまたまイラストレーターの先輩から
素敵な歌を教えてもらってそれを聴いて元気を出したり、
猫をひなたぼっこさせたり、
久々にディエゴ・デル・ガストールを聴いたり、
変なダンスを踊ることは科学的にみても効果があると知って満足したり。
そんな感じで2017年の早春は過ぎていく。
知ったよ。
友人が亡くなっていたことを、少し前に知った。
ただ、「友人」と書いたが、
その子と私の関係性は友人と呼べるものだったかどうかは、自信が持てない。
過去の一時、定期的にひとつの場に居合わせていたメンバーの中の1人で、
親しくはなかったし、会話もほとんどなかった。
その場所以外で会ったこともない。
連絡先も知らない。
そんなに離れてないと思うけど、年齢も知らない。
facebookでは、「友達」になっていた。
病気を持っているというのを聞いていた。
入院や手術を繰り返していて、
「こないだまた手術だった」という投稿を見て、
ちょっとしたメッセージを送ったこともあった。
ただその子のとのたまにのメッセージのやりとりは
いつもほとんど噛み合わなくて、
苦手だった。
facebookの「Poke」という機能があって、
どういう機能か説明は省くけど、
それをこちらの反応おかまいなしにガンガン送ってきてそのことが嫌で、
Pokeを送られるのは苦手だからやめてほしい、と
伝えたこともあった。
とにかくその子が亡くなったことを、
少し前に知った。
酷い書き方かもしれないし
わざわざ書くことではないかもしれないけど、
悲しいとかショックだとかは思っていない、と思う。
そんな風に思うには共有した出来事も時間も少なすぎて。
でもなんだか、
変かもしれないけど、
私は知ったよ、と伝えたい気分なんだ。
あなたのことをふと思い出して、
どうしているかなとタイムラインを覗きに行って、
あなたが亡くなったということを、
私はひとりで自分の部屋で、パソコンの前で、知ったよ。
それで今までのあなたとの数少ないやりとりを
思い出していたよ、
と。
それがいいこととか意味のあることだとは思っていない。
でもそんなことを彼女に伝えたい気持ちにどうしてもなってしまったんだ。
ポケが苦手だって言って、あのとき傷ついてたらごめんね。
でもそれを言わずに、
あなたが送り続けることを容認しながらいつも無視するのは、
失礼で卑怯な気がして言ったんだ。
でももうちょっと違う言い方があったかもしれないと、
今思っています。
病気を抱えて生きるのは、
とても大変なことだったろうと想像します。
たぶんこれからも、
あなたのことを思い出す瞬間があると思います。
私のこと、褒めてくれてありがとう。
どうか安らかに。
名前まつがい
名前を書き間違えられることがよくある。
最近立て続けに目にしたので記録。
1. 楠木雪野(くすのきささの)さん
2. 楠野雪野さん
3. 細野さん
1.はご丁寧に読みを併記してくださったのですが、それがまつがってたパターン。しかしなぜささの。
2.は今まで意外となかったパターン。
3.レアなパターン。何がどうなってこうなったか知りたい。
過去には「雷野」「雲野」「椿木雪野」なんてのもありました。
その辺は間違いの理由は想像つくのだけど、
「ささ」とか「細」とかは何故なんだろう、気になる。
細雪的なアレが関係しているのでしょうか。
間違えられた本人は気分を害すなんてことは全く無く、
結構楽しんでいます。
会話の流れやそのときの状況で訂正しないときもありますが、
正しくは楠木雪野(くすき きよの)です。
あらためてよろしくお願い申し上げます。
東京三人展日記 vol.2
2017年2月2日(木)
搬入日。
1年振り、2回目の三人展。
とうとうやってきた搬入日。
新幹線に乗りしばらくすると、窓から雪の積もった山々が見える。
(米原あたりかな、ちがうかな)
その景色になんだか心洗われる。
そして恒例の爆睡。
東京駅に着くまで一度も目を覚まさなかった。
今年も、まずは荷物を預けるために宿へ。
が、スーツケースがめちゃくちゃ重くて、移動がすんなりいかない。
なんでだっけ展示で配布するリーフレットが入ってるからだっけ。
あれそういえば、去年はリーフレットを先に宿に郵送したよな。
今年もそうすればよかったのになんでしなかったんだろう。
思考回路が麻痺してたのかな。
宿の最寄り駅でホームから改札にあがるエスカレーターや
エレベーターが全く見当たらない。
もしかして無いのか…?
絶望しながら力を振り絞って、
重たいスーツケースを持ち上げ階段をあがる。
やっと上りきったと思ったら、最後に8段ぐらいのミニ階段が。
もうだめだ、力が出ない…回復するまで直立してよう…
と思ったら、通りがかりのお兄さんが持ちましょうかと声をかけて運んでくれた。
ううう、ありがとうございます。泣
やっとの思いで宿に着き、荷物を預けギャラリーへ。
搬入作業。
やっぱり絵は、額に入ると格段に良く見えるなあ、
と、毎年恒例の感想。
自分の考えてきた配置よりこうした方がすっきりするんじゃないかと
ギャラリーのオーナーとスタッフの方が一部変えてくださり、
その通り良くなった。
現場で決めてくそういう感じが楽しい。
色々とやることが多く昨年より時間がかかる。
でもいい会場になりホッとした。よかった。
今年は搬入日の飲みはナシ。
あんまり寝てなかったのでふらっふらになりながら宿へ。
預けたスーツケース、部屋に運ばれていると思ったら、
なぜか手違いでフロント預かり扱いになっていて自分で運ぶことになり、
なんかイライラしちゃって珍しく人に面と向かって悪態つく。
すんませんでした。
ビールも飲まず、泥のように眠る。
ほんとに泥。
2月3日(金)
三人展初日。
いいお天気に恵まれる。
毎年ギャラリーへ行く途中に渡る橋の上から見上げる空は、
今年もなんにもなくて青くて美しい。
去年は初日に着る服を京都に忘れてきたけど、
今年はちゃんと持ってきた。
今年は各自取材した醸造所のTシャツ。
京都醸造のTシャツはとってもおしゃれでかわいいのだ。
最初のご来場者はパレットクラブ時代の、違うコースに通っていた同期生。
お子さんと一緒に来てくれた。
去年も来てくれて、そのときは3ヶ月だったのに、
大きくなったね、かわいいね。
しばらくしてオーナーよりショックな事を聞かされる。
なんと土曜日のスープ弁当のワゴンカーが、
諸事情によりもう来なくなってしまったという。。
なんてことだ。
オーパギャラリーに来た時の大きな大きな楽しみ、
土曜日のスープ弁当が…。
東京に滞在するときはいつも、
他の曜日はお昼ご飯なんにしよっかなーと迷ってから決めていたが、
土曜日だけは迷うことなくスープ弁当だったのに…。スープ好きなのに…。
明日の土曜日、私は一体何を食べればいいんだ。
ショックを受けつつ、
とりあえずは今日金曜日のお昼ごはんなんにしよっかな。
すぐ近くのアジア弁当のフードカーへ買いに行く。
そういえばここは去年の夏の「花に聞く」のときに来たことあったんだった。
ここは前菜が4種類の中から2種類選べる。
マカロニサラダ、生春巻き、スパイシーウィンナー、林檎のコンポート。
生春巻きと林檎のコンポートにする。
岩間さんの分も買って帰る。
メインは、岩間さんはナシゴレン、私はガパオライス。
夕方竹内君も到着し、18時からオープニングパーティー。
寒いからどうかなあという心配は杞憂に終わり、
皆さんビールをたくさん飲んでくださった。
ビールってやっぱりいいな。楽しいな。
二次会は近くのYONA YONA BEER WORKS(よなよなビアワークス)へ。
ここでもビール飲む。
とても盛り上がり楽しかった。
オープニングパーティーって何度やっても人が来てくれるか心配だし、
二次会も席は押さえてるものの誰も来てくれなかったらどうしよう、
と常に不安に思う。
なので来てくださった皆様、
本当に本当にありがとうございました。
2月4日(土)
三人展2日目。
全員、オープン時より在廊。
お昼ごはんはまい泉のカツサンドにする。
スープ弁当よ、
今までスープ弁当が私に与えてくれた充実は計り知れません。
さよなら、またいつかどこかで。
土曜日ということもありたくさん来てくださる。
息つく暇なく過ごしていたそんな中、
ガラス戸の向こうに見えた人影に眼を疑った。
「えっ…? まさる?」
まさるが来た。
えーっ、なんでなんで? えーっ!
と繰り返す。
だってまさる、住んでるの九州じゃないか。
びっくりして、しばらく事態が飲み込めなかったが、
東京での用事をいくつか詰め合わせて見に来てくれたという。
岩間さんと竹内君に紹介すると、
「ああ、あのまさる!」と言われる。
おいおい目の前で言われると恥ずかしいじゃないか。
一緒に写真を撮って、まさるは次の用事へ。
とてもびっくりしてうれしかった。
ちょっと目頭が熱くなってしまった。
ありがとう、まさる。
この日はすごく沢山の人数がご来場くださった。
2月5日(日)
三人展3日目。
お昼ご飯は、
お米とか丼モノがすごく食べたい気分だったので、
2日連続となるまい泉へ行き、ミニカツ丼を買った。
夕方、ビール好きの素敵なカップルが偶然通りがかって入ってきてくださり、
展示を堪能してくださる。
もうすぐご結婚なさるらしく、
特大ビールパネルと撮った写真をウェルカム写真にしようかな、とのこと。
なんとうれしいことだ。
男女お二人の場合、まずはひとつのパネルを2人でもつショットを撮りましょう。
はい、撮りますね〜
ああ、いいですね、いいですね。
あとは、女性が男性に特大ビールを飲ませてるショットもおすすめです。
ああーいい!いいですね〜
とっても楽しんでくださってありがとうございました。
どうぞよき結婚生活を!
2月6日(月)
三人展4日目。
ギャラリーへ行く前に、所用で早朝から新宿へ。
用事が終わり清々しい気持ちでギャラリーへ向かう。
お天気は快晴で、青空がきれい。
前野健太『新宿アベニュー』口ずさみながら。
(正確な表記はSHINJUKU AVENUEです)
お昼ご飯は、去年のベスト弁当、
ロティサリーチキンのお弁当。
プラス100円でローストビーフが3切れついてるスペシャル版にした。
おいしい。
webマガジン「ビール女子」や、
「日本ビアジャーナリスト協会」の方がお越しくださり、
展示のことをサイトの記事で紹介してくださった。
ありがとうございました!
→「ビール女子」での紹介記事
→「日本ビアジャーナリスト協会」での紹介記事
2月7日(火)
三人展5日目。
ご来場者が途切れず、
気付いたら14時前になっている。
オーナーに今日のお弁当屋さんラインナップを聞き、
今まで食べたことない新しいワゴンカーを教えてもらう。
喜び勇んで行ったら、時間が遅くすでに売り切れ…。
えーん、と思いながら、
もう1つ教えてもらっていた別のお弁当カーを探すも、
どこかわからない。
ウロウロしてるとオーナーに出くわし
場所を教えてもらいそこに行くが、
そこも売り切れ…。
お昼ご飯難民となる。
お弁当は諦めて、
おなじみ「パンとエスプレッソと」のパニーニにする。
がしかしここでも!
目星をつけていた味は売り切れ…。
『お昼ご飯は、お昼どきになったら
バタついていても思い切って素早く買いに行く。』
今後の教訓。
クローズ後、デザイナーさん達に3人飲みに誘っていただく。
が、京都から持ってきた仕事が残っており、
どうしても今晩中に作業しなきゃいけない。
「もし早く終わって、行けたら途中参加します…」
と涙ながらに近くのレンタル作業場へ。
22時ごろ、作業は無事終わったけどすんごい睡魔と疲労で、
岩間さんに残念ながら帰るという旨を伝え地下鉄に乗った。
しかし2駅くらい行ったところで、
ハッと我に返る。
「おいおい自分、
せっかく京都から東京に来ていて、
お誘いくださって普段なかなか飲めない方々と飲める機会なのに、
何を帰ろうとしているんだよ!
疲れてても、酒飲んだら治るよ!
ここで帰っちゃ酒好きを名乗る資格ないよ!」
そしたらなんかぐんぐん体調も復活してきて眠気もおさまり、
表参道へ引き返すべく、電車を乗り換えた。
合流して、短い時間だったけど、たくさん楽しいお話が聞けた。
作業あけのビールも美味しかった。
引き返してよかった。
2月8日(水)
三人展最終日。
朝一番で、福山在住の伯父伯母と、千葉在住の伯母の妹さんが来てくれる。
伯父夫婦がちょうど千葉に来ていたので、こちらまで足を伸ばしてくれた。
見てもらえてとっても嬉しかった。
ラスコー展を見てきたと語るおじちゃんの福山弁が
ギャラリーに響き渡っていい感じだった。
水曜日はお弁当カーが来ない日。
今回3回目になるまい泉へ。
またカツサンドを買った直後、
「彩り弁当」という和食のそぼろ三色弁当が目に入り、
そっちにすれば良かった、
カツサンドはおやつにして、彩り弁当を追加で買おうか…
と1分ほど真剣に悩むが、やっぱりやめる。
今回はお昼ご飯に関して、
行動や判断がピリッとしていないことが多かった。
次回への反省。
最終日はやっぱり夕方混み合って、
あっという間に17時に。
最後に来てくださった方々をお見送りして、
2度目の三人展、終了。
お疲れ様でした!
お茶を飲んで搬出して、
今年も反省点や今後の話をして、さあ帰らねば。
スーツケースはリーフレットがほぼなくなっているのにもかかわらず、
相変わらず重たい。
なんで?
今年は一升瓶は無いよ?
一体何が入ってる?
プラス、ぱんぱんのリュックサックと、作品のキャリーケースと、
でっかい肩がけトートバッグと、手持ちの紙袋。
なんでこうなるか自分でもわからない。
きっと私の内面と同じく、
いろんなものが整理されずにぐちゃぐちゃと入り混じって、
えいやと力技で詰め込まれているんだろう。
だろう…とか言って朝荷造りしたの自分なんですけど。
今年はタクシーには乗らず地下鉄で東京駅へ。
ギャラリーを後にし、3人青山通りへ出て、
岩間さんは表参道、私と竹内君は外苑前。
赤坂見附で丸ノ内線へ乗り換え。
反対方向のホームへ向かう竹内君の背中を見送り、
電車に乗った。
2度目の三人展、無事終わったなあ。
岩間さん竹内君、ありがとうございました。
京都に帰ったら、やること沢山沢山あるよ。
京都に帰ったら、家で猫が待ってるよ。
とりあえず新幹線に乗ったら、ビールを飲もうよ。
1人になっていろんなことを頭に駆け巡らしながら、
帰路へとついた。
おわり。
関連ページ
→ 1年前の「東京初三人展日記」
→ 2年前の「東京初個展日記」
煩悩の数だけ
ぐわあ!
とか
ぐへえ!
とか
ぐちゃあ、とかぐしゃあ、
とか、
心の中で奇声を発してるここ最近。
メールを送ったかと思えば、
「ありがとうございます」のつもりが
「ありがとうござぎす」。
送った後に気付く。
なんだよ「ござぎす」って。
そんなトホホな状態。
というのは、
最近身の周りでノロウィルスとかインフルエンザとか、
感染症が猛威をふるっていて、
それはどのくらいかというと猛威を振るうとはまさにこの事かと思うくらいの猛威っぷりで、
自分も人生初・ノロウィルスにかかりその時期がまた最悪で、
そのために苦しんでいたからなのですが。。
しかしノロウィルスってこんなにしんどくて長引くもんだとは思ってませんでした。
甘く見ていました。
もうなりたくない。二度となりたくない。
そんな今月、
カットの仕事を数社から頂戴していて、中には点数が多いものもあり、
全部足してみると今月描くカット数、108。
108。
煩悩やん。
煩悩の数だけカットを描いて、
ひとつ描き上げたら煩悩も減っていって、
終わる頃には今より少しくらいマシな人間になっていたりはしないだろうか…。
なんて不毛なことを考えながらとにかくひたすら、描く描く描く。
ノロでへばっていた分のタイムロスがあったので黙々と必死だ。
三人展も目前だ。
去年に続きまたしてもメンバー2人には助けてもらっていて、頭が上がらない。
さてさて休憩おわり。
いやというほどの自己嫌悪と反省は後にして、
今だけは煩悩を捨てて、がんばれ自分。
手洗いうがい、睡眠、体力、免疫力!
2016年の年の瀬雑記とまるごととまなざし
あっ
と言う間にもうこんな日だ。
目まぐるしく過ぎていく。
今年をざっくり振り返ってみると一番の出来事は、
書籍の初仕事と、他にもイラストレーターとしての仕事をいくつかさせていただいたこと。
すっごく嬉しかったし、
「もっともっと仕事がしたい、
そのためには環境や習慣を変えて、いろんなものをもっとそのために費やしたい」
と思うようになった。
なので2017年は、そんな感じでやっていく所存です。
2016年にハッとした言葉は「まるごと」と「まなざし」。
ハッとしてからは、
この2つのキーワードで物事を考えるとすんなり行くことなんかもあって、
頭の中が整理されたように思う。
アウトプットが相変わらずノロかったり、
大事な時に大事なものを落としたりなくしたり、
すごいうっかりをやらかしたり、は、来年少しでも改善していきたい。
ほんとうです。(誰に弁明しているのか…)
今年も一年間このサイトに訪れてくださった皆様、
見守って気にしてくださった皆様、
ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
最近の感動回文
「鯛だ鯛だ 頂いた」!
土屋耕一さんの作。
アラスカのこと
10月に京都高島屋で開催されていた「星野道夫の旅」展に行ってから、
よくアラスカのことを考えている。
クサクサしたりイライラしたりしてしまう時、
そのまさに同じ時にアラスカでは、
カリブーが広大な原野を大群で移動している。
シロクマが食べ物を探して歩いている。
そう思うと、
体をすうっと風が通り過ぎていったような気分になる。
星野道夫さんの作品をちゃんと正対して観たのは実は初めてだった。
アラスカに対する星野さんのまなざしが伝わってくるような、写真の数々。
会場に散りばめられた、
シンプルで冷静で淡々としていて理知的な、
それでいて温かみのある気持ちの良い言葉たち。
あまりによかったのでもっと知りたいと思い、
エッセイ『イニュイック』を買って帰った。
おまじないみたいに、
お守りみたいに、
今日もアラスカのことを考える。
アキオ、またね。
この雑文雑記に書いたこともある、
パレットクラブの風来坊猫、アキオが天国に旅立った。
パレットクラブのツイッターで知った。
今年の4月に久々にパレットへ行ったらアキオがいて、
喉や顎やおでこやらこめかみやらぐりぐり撫でたら
なんだか今までになく気持ち良さそうにしてくれたので、
かなり長いこと撫でていた。
スタッフのYさんが、
「こんなに気持ち良さそうなの初めてみたかも」
と仰ってくださりなんだかうれしかった。
「えへへ、そうかいアキオ?
私撫でるの上手かな。
気持ちよかったらうれしいなあ」。
思いながら、撫で続けた。
そのときアキオは弱っているように見えた。
もう何回もは会えないかもしれない、と思った。
その一方でいつものように無愛想でもあって、
私が名残惜しくパレットを後にする時も、
こちらに一瞥をくれることもなく、
扉の前で空を見つめていた。
アキオのそういう、
媚びない孤高な雰囲気はかっこよかった。
以下、原田治先生のブログからの引用。
『3匹のうちもうひとりのアキオは、過保護だった母親ホオズキちゃんと、いつもかばってくれた妹のアキちゃんに先立たれ、現在は孤独の身になってしまった。他の猫とは最初からうちとけない。夜はどうやら裏通りのお寺さんの墓地を根城にしているようだ。出家でもしたつもりなのだろうか。昼すぎになると、托鉢の僧のように飄然とあらわれる。白地に黒の柄が「墨染めの衣」に見えなくもない。尻尾は短く曲がっていて、関東のノラ猫の特長を立派にそなえている。猫なのに三白眼で、オドオドした態度はどこか不気味な感じがするが、ぼくはそこに魅力を感じる。こんな雰囲気のある猫はほかにはいない。』(20130424 「築地ノラ猫情報」)
↓こちらから、原田治先生ブログの、アキオの記事を読むことができます
http://d.hatena.ne.jp/osamuharada/searchdiary?word=%A5%A2%A5%AD%A5%AA
* * *
猫がいる、というところが、
私がパレットクラブを大好きな理由のひとつだ。
卒業後も東京行きの際に立ち寄ると、
アキオやクロちゃんに遭遇できたときはうれしくて、
帰り際にはいつも
「アキオ、またね。」
「クロちゃん、またね。」
とつぶやいて帰った。
京都からパレットクラブのことを思い浮かべるとき、
あの黄色い扉の前には必ずアキオかクロちゃんが佇んでいる。
冒頭に書いた「天国に旅立った」
みたいな表現は普段は好きじゃないんだけど、
アキオには旅立つという言葉がよく合っていると思う。
アキオ、ありがとう。
アキオのこと、これからも時々思い出すね。
今年の4月のアキオ。
気持ち良さそうにしてくれてうれしかった。
アキオ、またね。
生まれて初めて
生まれて初めて絵を買った。
まだ手元には届いていない。
イラストレーターとして展示をするようになって、
自分の作品を買っていただいたり、
展示前はいつも「売れてくれえ〜!」と思っていたりするくせに、
自分はまだ、
一度も人の作品を買ったことがなかったのだった、今まで。
ギャラリーに入って正面に飾ってあったその絵を見た瞬間、
買いたい、と思ってしまった。
そんなつもりはなかったのに。
今ひどい金欠なのに。
至極まっとうな、おさえきれない衝動買いで、
とても健全な、
初めての絵の買い方だったと思う。
私が初めて買った絵は、2万5000円。
リノリウムの版画の、1/55。
この絵に見合うような、暮らし方にしよう。
ずっとずっと大切にしよう。
俺たちにはパリがある
最近映画を観るペースがだだ落ちなのだが、
少し前の眠れなかった夜に、
ふと『カサブランカ』を久しぶりに観た。
「俺たちにはパリがある」
くうう 泣けるぜ、
泣けるぜボギー。
「君の瞳に乾杯」
よりも、
「美しい友情の始まりさ」
よりも、
こっちの台詞が好きだよ私は。
あのあとボギーは(リックは)、
パリでの思い出を胸に
ずっとひとりで生きていったの?
寂しくなったらどうしたの?
なんて秋の夜長に考える。
映画って本当に、本当にいいもんですね。
まさるという名の友だち
まさるという名の友だちがいる。
まさこというんだけど、本当は。
スラッとスリムでセンスがよくて優しくて、
かわいくてきれいなお姉さん風だけど中身はおちゃめだ。
まさるとは大学が一緒だった。
特に仲良くなったのは学生生活のたぶん終盤で、
初めて2人で飲もう、となった時、
実家暮らしの私は家にあったエビス大瓶3本をくすねて、
雨がザーザー降る中、瓶をがちゃがちゃ言わせながら、
まさるが一人暮らしをしているアパートに持って行った。
就職してからはまさるが東京へ行って、会わない時期もあったけど、
勤務地が関西になってまた会うようになり、
それからしばらくは夏に私が大阪のまさるの家に泊まりに行き、
冬にまさるがうちに泊まりに来るのがなんとなく恒例のようになった。
泊まりといっても、
することといえばただ食べて飲んで話をして、
酔ったまま就寝して昼まで寝るだけなのだけど。
* * * *
まさるは声が小さい。
静かな声で伏し目がちにぽつぽつと話す。
時々聞き取れないときがある。
でも私はまさるのそんなとこが好きで、
聞き取れなくても聞き返さない。
聞き返さないので、さっきまさるが何と言ったのかわからずに
会話を続けることもある。
それでも、話の流れが止まって困ってしまうことはそんなにない。
会話って内容がわからないときも案外成立するんだな、
とか感心しながら話していたこともある。
もし誰かに「まさるのどんなとこが好き?」と聞かれたら、
真っ先にその、
「静かな声でぽつぽつと話すところ」を挙げるかもしれない。
他にも好きなところはもちろんたくさんあって、
もっとそれらしいことだっていっぱい挙げられる。
でもそれくらい、なんだかその静かな声が好きなのだ。
「大きな声でハキハキと話すこと」
「相手の目を見て話すこと」
一般的に良いとされていることと、
私にとって大切で必要なことは一緒ではないということを、
まさるはいつも思い出させてくれる。
好きだったら、どんなところも、
それはその人のまるごとの中の、大事な大事な一部分なのだと。
* * * *
もうずっと前のことになるけれど、
私とまさるは恋愛において、
それぞれ同じようないやな思いをしたことがあった。
またその少し後、私は当時の仕事や生活のストレスからか
今までにないくらい顔の肌がひどく荒れて、
対面した人に「どうしたの?大丈夫?」と言われるほどだったのだけど、
そんな時久々に会ったまさるも、肌が同じように赤く荒れていた。
二人揃って痛々しくて、それがなんだか可笑しく思えて、
ちょっと笑ってしまった。
「私達のお肌がもう一度ツルピカになりますように。
お互い元気になって、とびきり優しくて素敵な彼氏ができますように。」
私はその時、心の中でそうお祈りした。
口には出さなかったけど、
心から、手を合わせて祈るような気持ちでそう思った。
そして、そんなまさるが結婚した。
結婚して、今は遠くに住んでいる。
暑い夏の日、
iPodでフィッシュマンズの「バックビートに乗っかって」を聴きながら、
駅からバスでまさるの家に向かうのが好きだった。
まさるがご飯を作ってくれている間、
すっきりした部屋のきれいな畳の上で、
本や漫画を借りて読んでいる時間も好きだった。
(美輪明宏さんのエッセイとか、「シガテラ」とか、読んだ。)
うちに泊まりに来たとき、朝起きたらなぜか、
敷き布団と垂直にクロスして寝ていたまさる。
泊まった帰り、お漬物屋さんに寄って買い物したら財布にお金がなくて、
私の母が払ったのをいつまでもネタにされるまさる。
うちの先代の猫、ちかこ(「ちかこさん」とまさるは呼ぶ)や、
今いる猫ちーすけ(「ちーすけくん」)の挙動に
いつも興奮してくれるまさる。
長生きしたそのちかこが死んじゃったと、
大阪のお好み焼き屋さんでボロボロ泣きながら話したとき、
何も言わずに聞いていてくれたまさる。
父が亡くなったすぐの時、友達のほとんど誰にも連絡できなかったけど、
まさるにはメールを送った。
その時まさるが返してくれたメールは優しかった。
玉砕してさっぱりしてから、失恋したーと久々にメールした時には、
時を同じくして玉砕失恋していた。(すぐに2人で飲みにいった)
村上春樹さんの京大での公開インタビューの聴講に2人とも応募して落選し、
当日京大の近くで飲んだ。
夏、大きな花火大会がまさるのマンションからすぐ近くであって、
玄関前にイスを出して見た。
とても大きく綺麗に見えて、特等席だった。
トマトと桃を切ってくれて、
それをつまみに缶ビール片手に花火を見るのはなんだかオツだった。
その時用意してくれてたビールは「水曜日のネコ」だった。
泊まりにいったら毎回おいしいごはんやアテを作ってくれるまさる。
ハラカミさんや、素敵な音楽をかけているまさる。
大好きな菊地成孔さんのことを熱く語るまさる。
初個展のお祝いに、と、リンドベリが絵を手がけた絵本を送ってくれたまさる。
私にいいことがあると、キャーキャー言って喜んでくれるまさる。
お互い身に起こったこと全てを話しているわけではないだろう。
言わないでいることも多いと思う。
でもきっと、そういうことを話してもきっと、まさるは静かに優しく聞いてくれるのだと思う。
し、私もそんな風にしてまさるの話を聞きたいと思う。
まさるのような友だちを持てたことは、
私の人生において、本当にラッキーで「でかした!」なことだ。
まさるとのいろんな思い出は、時に私を励まし、元気づけてくれる。
遅くなったけれど、結婚おめでとう。
住むところは離れるけれど、これからもたまに会って、
おいしいお酒を飲みましょう。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「こんにちは。僕は今中学三年生で、今年の四月から高校生です。
その高校生活がとても不安です。世間の人たちは青春は金で買えない、後悔しないようにしろ、と言います。それは正しい事だとは分かっていますが、僕が進学する学校は中堅レベルの平凡で大したことがない学校なのです。高いレベルの学校に進学する人は、知的な友人や恋人に囲まれ、偏差値相応の素晴らしい青春を 謳歌するのでしょうか?後悔が残りそうで怖いです。
(虹を待つ羊、男性、15歳、中学生)
きみがたぶんやるべきことは、一人でいいから良い友だちをみつけることです。
二人でも三人でもなく、一人でいい。どんな学校のどんなクラスにだって、一人くらいは興味深いやつ、気が合いそうなやつがいるはずです。そういう人をみつけるといい。「知的な友人や恋人に囲まれ」る必要なんてぜんぜんありません。 本当に話の合う友だちが一人みつかれば、それでオーケーです。そうすれば「ああ、この学校に来てよかったな」と思えるようになります。偏差値なんてぜんぜん関係ないです。ほんとうだよ。
村上春樹拝」
(引用元:http://www.welluneednt.com/ )
2016年の夏の音楽
今年の夏。
京都はなんだかずーっと暑くて、今思えばけっこう夏バテしてしまった。
特大口内炎にも苦しめられた。
8月最終週からようやく朝晩涼しくなってきたので、
秋の空気のもの悲しさを感じつつ、安心しています。
* * *
今年の夏は2枚の新譜を聴きまくった。
楽しみにしてた坂本慎太郎『できれば愛を』と、
サニーデイ・サービス『DANCE TO YOU』。
『できれば愛を』は
最初にかけたときから「うおおおお」となり、
いてもたってもいられず、
夜中に一人、曲に合わせて変なダンスを踊った。
1st、2ndも大好きなんだけど、
この3rdアルバムは良い意味で一番聴きやすいんじゃないだろうか。
1stはとにかく先行曲『君はそう決めた』が良すぎて好きすぎて、
キラーチューンであるその1曲への私の愛情が極端に強く、
アルバムの中でもその存在感が特別に際立っていた。
2ndは1枚通して聴いて、
一編の旋律走る、カラカラに乾いた空気感の、
近未来のSF漫画(星野之宣作品のような)を読んだような感覚に陥った。
でも今回の3rdは安田謙一さんという方がライナーノーツで書いていたように、
「収録された10曲は、曲調も、歌詞も、
それぞれが独立している、味わい深い短編集のような趣きがある。」
という、まさにそんな感じ。
そしてそれらはカラカラではなく、
ちょっと湿り気や、温もりがあるような。
とにかくしびれる名盤です。
大好き。
そしてもう一枚の、
サニーデイ・サービス『DANCE TO YOU』。
実は最初のうちはピンとこなかった。
のだけど、
後から強烈にグイグイきて、大どんでん返しで、
今ではもう捕らわれたように毎日聴いている。
全然中毒っぽいイメージじゃないのに、
ものすごく中毒なのだ。
この中毒性は何なんだろう。
まったく違う2枚のアルバムだけど、どちらも大好きで、
体に染み付いてるんじゃないかと思うくらい聴いている。
今年の夏は終わろうとしているけれど、
きっとこのアルバムを聴くとこの先いつでも、
私は2016年の夏のことをにおいとか空気感とか胸の中の感じとかそのまんま、
ありありと思い出せるのだと思う。
そして、
ああ、2016年の夏には『できれば愛を』と『DANCE TO YOU』があったんだ、と、
この先の夏に思い返すのだと思う。
「もっと自分のことを知らなくっちゃね。」
先月の7月19日、
大イラストレーター・灘本唯人さんが90歳でご逝去された。
まったく幸運に、恐れ多くも、一度だけ、
灘本さんの隣の席でお酒を飲みながらお話させていただいたことがある。
先輩イラストレーターの方々のグループ展の、
オープニングパーティーと二次会でのことだった。
(東京ってすごいなとそのとき思った。)
当時私はパレットクラブを卒業したばかりだった。
灘本さんは誰にも分け隔てなく、楽しくおしゃべりしてくださった。
超大御所であるということを忘れそうになるくらい、
チャーミングな方だった。
同じパレットクラブの愉快な同級生Fなどは、
カラオケでもないのに、灘本さんと一緒に
ピンクレディの「UFO♪」の部分を振り付けつきで歌っていた気がする。
私は、お酒を注ぎ注ぎ、
絵の話などお聞かせいただいた。
「もっと自分のことを知らなくっちゃね。」
軽妙に、なんだか歌でも歌うように、
灘本さんはそう仰った。
あれから2年とちょっと。
前より自分のこと、知れてきたのかなあ。まだまだかなあ。
灘本さんの、男女の絵が大好きです。
お話ししてくださり、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
ビーチサンダル愛
ビーチサンダルが好きだ。
毎年暑くなりだした頃に下駄箱から出すとうれしくなって、
ああ夏だなあ、と思う。
といってもコレクターでもなく詳しいわけでもなく、
havaianasを何足か、長年愛用してるだけ。
ビーチサンダルは自由の履き物。
ビールは自由の飲み物。
2016、夏。
雑記 20160713
健康のための3大「○○ない」。
1.悩まない
2.冷やさない
3.食べ過ぎない
だそうだ。
そうだよなー納得納得。精神的なストレスいちばんよくない。
あたまでっかちだから気付いたらすーぐ無駄に悩んでたりするけど。
悩み始めたら、そうしないですむ場所に移動しよう。
食べ過ぎがよくないってのは今年に入って実感している。
おなかパンパンになるまで食べることが減って、そのせいかなんだか体が楽だ。
食べる事自体は大好きだけど。相変わらず。
腹八分目で医者いらず。
2016、夏。
君はそう決めた
ゆらゆら帝国が好きで坂本慎太郎さんが好きなのだけど、
ゆら帝解散後の坂本さんのソロ曲『君はそう決めた』は
特別に好きな1曲だ。
まずタイトルが好きで、
この言葉を心の中で呟くと色々落ちつく。
曲も最高。歌詞も最高。MVも最高。MVはこちら↓。
●君はそう決めた
https://youtube.com/watch?v=t08i_cWdcbM
今までで、そう多くはないけど、覚悟というものをしたことがある。
覚悟を決めてやり始めて、続けていることもある。
そういう事は人に話す事ではないので一人で抱えてちまちまやっていると、
たまーーにうじうじしたりもするから、
そんな時に心で呟く。
「君はそう決めた」。
(…まあでもその覚悟たるやなんと脆いものか、と思う瞬間もあって、
情けなくなったりするのだけど。)
さて、坂本慎太郎さんといえば、
3rdアルバムがもうすぐ出るそうな。
タイトルは「できれば愛を」。
最初にタイトルをみたとき、
その語感から、「なんとなく夢を」という
これまた大好きなゆら帝の曲が頭に浮かんだ。
坂本さんはこの春から京都のエフエム局でラジオ番組もやっていて、
それを聴くのも毎週の楽しみだ。
なんとなく夢を、
できれば愛を。
ああ、楽しみ楽しみ。
写真:
2ndアルバム『ナマで踊ろう』発売キャンペーン時の、CDジャケット顔ハメ。
三人展メンバーの岩間淳美ちゃんと新宿のタワレコにハメに行った。
2014年夏の、楽しかった良い思い出。
雑記 20160524
友人に長いメールをくれと頼んだ。
ちょっと行き詰まってて、言葉に浸かりたかったからだった。
そしたら、
そういえばちょうど一年前の5月には
同じ友人に短いメールをくれと頼んでいたことに偶然思い当たり、
なんだか可笑しくなった。
そんな頼みごとして、しまったなあと思っていたけど、
しょうがないっか。
5月はそんな月。
『インドの歌』
展示もさせていただいている bar月読さんには、蓄音機がある。
SP盤のレコードもいろんなジャンルのものがあって、
そこで去年『インドの歌』という曲を聴いた。
初めて聴いた時から好きになり、メロディーも覚えて、よく頭の中で流れている。
webで調べてみたら、リムスキー=コルサコフという人が作った、
『サトコ』という歌劇のアリアなんだって。
聴いたのは、クライスラーによるヴァイオリンとオーケストラでの演奏バージョン。
おそらく全く同じ音源がYoutubeにもあった。
ゆったりしてて優美。もうすごく好き。とろーんとなる。
蓄音機の音色がまたいいんだなあ。
●インドの歌
https://www.youtube.com/watch?v=tz7MoKgimtI
チャオ!
先週の出来事。
京都駅で、海外旅行客の団体に道を聞かれバス乗り場まで案内した。
どこから来たか聞いたらイタリアだった。
ぐちゃぐちゃな英語で会話したけど
最後はイタリア映画みたいに「チャオ」って言いたくて、
しかし焦り逸って「グラッチェ!」とかます。
言えなかった「チャオ」を
クラウディア・カルディナーレ風に一人怪しく呟きながら、
とぼとぼ帰った帰り道、であった。
「チャオ」といえば村上春樹さん、でもある。
(朝日新聞社『そうだ、村上さんに聞いてみよう』参照)
思い出しただけでも笑ってしまう。
次の機会にはちゃんと言えるといいな。
チャオ!
ゴールデンウィークの巡回ねーさん
友人であり三人展メンバーでもあるイラストレーターの竹内巧くんは、
仲間内では「巡回にーさん」としても知られている。
何を巡回しているかというと、
友人や先輩イラストレーターのwebサイトを、である。
巡回にーさんはwebサイトをこまめに巡回し、
時には更新した本人よりも早いんじゃないだろうかと思うくらい、
更新された内容をチェックしている。
あなたのサイトも巡回されてますよ、気をつけて!笑 とか、
こわーい 笑 とか冗談でよく言っているのだが、
SNS全盛のこの時代に
こつこつちまちまけっこう労力をかけて更新している自分のサイトに
足を運んで見に来てくれている人がいるというのはほんとに嬉しいことで、
誰が見てくれているかわからなくても、巡回にーさんとSさん
(という、もうお一方巡回の先輩がいる)
は絶対いつも見てくれている、と思うと、
すごくありがたい気持ちになる。
他にも、私が知らないだけで
いつもサイトを見てくださっている方がいると思う。
ありがとうございます。
感謝しています。
こういうことを考えるときにいつも心に携帯してるのが、
有名ブロガー・ちきりんさんのブログのこのエントリー。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20101230
これを読んだら毎回じわーっと感動してしまう。
「あなたの文章を私は読んでいます。」
さてさてゴールデンウイーク。
遠出の予定もなく、毎日家にいて、作業したりしている。
「毎日巡回にーさん」に触発されて
「時々巡回ねーさん」になる私は、
ゴールデンウイーク中ここぞとばかりに、
せっせと好きな人たちのサイトを巡回中。
言葉はその人そのものだから、読んでいるのはとても楽しい。
言葉だけじゃ伝えられないことも、もちろんあるとわかりつつ。
冷やし腹筋はじめました
5月がきた!
3月4月はありがたいことに忙しくさせていただき
初めて経験することもたくさんあったりで怒濤のように過ぎていった。
が、そんな中特に体のメンテナンスをしないまま
渦巻きのような慌ただしい毎日に身を投じていたせいか、
少し前のある朝、起きたら腰が痛い…。
放置したら良くなさそうだったのでその日の仕事帰りに
近くの整形外科に行き、そしてそこで治療の一環として、
毎晩20回の腹筋を言い渡されたのであった。
そんなわけで朝晩20回、真面目にやってます。
やっているのは、壁に足の裏をつけて膝を90度に曲げて、
上体を起こすのは肩が浮くくらいまででいい易しい腹筋。
筋トレなんていつぶりだろう。
でも普段怠惰な生活を送っているせいか、
「毎日ルーチンを行うちゃんとした自分」感に酔いしれて、
今のところは機嫌よく欠かさずやっている。
腹筋してると猫がお腹に乗ってきたり足を齧ったりしてくる。
やめてよね。
あと、その整形外科にはリハビリの指導を行うおにーさんが沢山いるのだけど、
エグザイルみたいな人が多い。
寒暖差が激しかったけれど、さわやかな季節になってきました。
皆様ご体調くずされませんよう。
きっとあっという間に夏だなあ。
ビールのおいしい季節だなあ。
鴨を拾ったら
こないだ道路で鴨を拾った。
拾ったというか、保護したというか。
いや、保護したなんて言えるもんじゃないのだけど、それはさておき。
『青』京都展の在廊帰り、車道の交差点でへんな動きをするものが目に入った。
最初はコンビニ袋が風に吹かれて動いてるのかと思った。
次は、鳩が座ったり立ったりしてるのかと思った。
次は何故かペンギンに見えた。
(ペンギンがそんなところにいるわけがないのに一瞬本気で「ペンギン?」
と思った。人間の思考回路は不思議ですね。)
そしてよおく目を凝らしてみると、鴨だった。
鴨は動きを止めて、車道にへたりこんでしまった。
轢かれてしまうと思ったので、道路に出て鴨を拾い上げた。
鴨はどこからか少し出血していた。
歩道に戻ると、
居合わせたおじちゃん
「ケガしてるけど鴨川に放してやればじき治るわ。」
居合わせたおばちゃん
「病院では見てもらえへんのちゃうかな。死んでもその子の命やから。」
その交差点は川端二条といって、その名の通り川(鴨川)の端の川端通という道路と
二条通という道路の交差点だった。
とりあえず鴨を両手で持ったまま鴨川の土手に降りた。
鴨は温かくおとなしく、静かにじっとしていた。
野鳥って菌がうじゃうじゃいるんだっけ、いないんだっけ、とか思いながら、
しゃがんだ膝に鴨をのせて背中についていた血をティッシュで拭いた。
血はどこから出てるのかわからなくて、背中にはただ付着していただけみたいだった。
羽毛がものすごく血を弾いていて
「水鳥の羽毛の撥水効果よ!」とこんなときに感心した。
どうしていいかわからず携帯の充電も切れそうだったので少し焦り、
近くの友人に電話するとすぐ近所に動物病院があると教えてくれた。
電話を切って検索すると、他にも2軒あったので順番に電話してみた。
1軒目、営業時間終了のアナウンス。2軒目つながらず。
3軒目「うちは野鳥は扱っていないんです」と断られる。
するとその電話が切られた瞬間、
おとなしく座っていた鴨が膝から飛び降り、
「あ…」と思っているうちに小走りで土手の石垣を更に降り、
鴨川水辺の草むらに消えていってしまった。
「鴨…」と思いながら私は立ち上がり、
鴨の血をふいたティッシュをゴミ箱に捨て、トイレに寄り石鹸でがしがし手を洗った。
帰宅してインターネットで調べたら、
野鳥を保護した場合、
市や府の野生鳥獣担当機関に連絡すればよかったらしい。
京都なら「京都府農林水産部森林保全課」とか、
「京都市動物園野生鳥獣救護センター」。
〈参考URL〉
・各都道府県の野生鳥獣担当機関の連絡先リスト
http://www.birdfan.net/about/faq/kega.html
・京都府[ケガや病気で弱っている野生の鳥獣をみつけたら]
http://www.pref.kyoto.jp/shinrinhozen/1333023680076.html
緊急時の機敏で的確な判断、
できるような人間にならないとなあ、
そのためにちゃんと知識も蓄えないとなあ、と少し反省した私。
鴨は痛かっただろうか。じっと静かにいい子にしていたその目は
くりんと丸くて小さくて、かしこそうだった。
鴨、なんもできなくてごめんよ。
ケガが治って、元気でやっていますように。
四月になれば彼女は
四月になれば彼女は
ってつぶやきながら、
もうとっくに四月やんけと突っ込みながら、
五月になれば…と思いながら、
過ごしているこのごろ。
最近立て続けにみた友人のライブ2組が、
どっちもすごくよかった。
音楽でも絵でも料理でもお酒でも珈琲でも、
友人が作り出すものを見たり味わったり体験するときは、
友人だということを極力忘れてそうしようと思っている。
(まあそれは、完全には無理なんだけど。)
それでいてめちゃくちゃよかったので、
うれしくなった。
五月になれば「六月になれば…」と思って、
六月になれば「七月になれば…」と思って、
延々その繰り返しなんだろうな。
最近はその人達の曲をくちずさんでいる。
20160319
1年というのはあっと言う間だなあと思うけど、
1年前と今とでは全く違っていることやものがいくつもあって、
そんな1年分の出来事が自分を新たに形作っている。
この1年で経験したうれしかったこと、楽しかったこと、
つらかったこと、初めて聴いた音楽、夢みたいな出来事、
1年前の私はひとつも知らなかったんだ。
なんて当たり前のことから始まり、
今年もこの日に、色々なことを考える。
1年前を、2年前を思い出す。
この1年のことはきっとずっと忘れないだろうなあー。
宝物みたいな1年だった。
20150319
雑記 20160224
早起きが苦手だけれど、今日は朝早くから起きて手を動かしている洗濯機も回している。
曽我部さんの『PINK』をかけて「がるそん」を聴いている。
「♪市役所前のカレー屋さん」
コーヒーか紅茶飲もうとお湯を沸かしに立った隙に、
開いていたスケッチブックの上に猫が鎮座ましましている。
おーいどいてよ、絵描くんだからさあ
どく気は皆無らしく目を合わせない。
朝から描くっていいなあ。
こんな毎日を増やしていくぞー
と静かに燃える、2016年春。
東京初三人展日記
2016年1月28日(木)
搬入日。
個展以来、1年振りの東京での展示。
去年はスーツケースと作品かかえて京都からギャラリーに直行したけど、
今年は先にホテルに行ってスーツケース預けてから搬入に行くぜ、
今年の私は去年の私とは違う、余裕を持った女だぜ、
と、満足感に浸りながら新幹線に乗る。
だって今年は個展じゃなくて三人展で、搬入後メンバーで飲みに行くもんね。
重たいスーツケース引きずって飲みにいくのやだもんね。
去年は搬入後はひとりでホテルで缶ビール飲んで気絶、でよかったけれども。
(飲みに行くためなら早めの行動もとれることが判明。 )
車窓から富士山を見たいなと思っていたけど、やっぱり爆睡。
気が付いたら東京に着いていた。
搬入作業。
ほんと作品って額に入るとより良く見えるなあ、とあらためて思う。
オーナーとスタッフの方がテキパキ進めてくださり、完了。
そしてメンバーで勝どきへ。
寿司屋で飲んだ。
いよいよ明日から、たくさん来てくれるといいねえ。
なんていい気分で話していると、
重大な忘れ物をしたことが判明…。
オープニングパーティーのある初日には、青い服を着よう、
と、3人でだいぶ前から打ち合わせていた。
私は前から持っていたお気に入りの、
真っ青な薄手のニットのセーターを着ようと決めていた。
その青いセーターを、
京都に忘れてきたのであった。
うそーーーん!と青ざめながら、
ハッ‼と思いつく。
明日(金曜)、母がちょうど出張で東京に来る…!
ギャラリーに展示を見に来るのは土曜日だけど、
今日(木曜)電話して明日持ってきてもらって受け取れたら、
トイレで着替えてオープニングパーティーにはあの服で出られる…!
ただ、張り切ってだいぶ前からたたんで袋に入れて、
自分でもどこにしまったか思い出せないから望みは薄いけど、
もし見つかれば…!
そのことを話して、
とりあえず母に連絡するわ!!と興奮しながら2人に言うと、
「小学生が体操服忘れて持ってきてもらうみたいだね」
と竹内君に言われた。
…。
結局、母に電話したが場所はわからず。
たまたま紺色系の服を持ってきていたので、それを着ることにした。
持ってきていなかったら、
飲みを切り上げてとりあえずユニクロに走って、
青い服を探さなければならないとこだった。
そうならずに済んで良かった。
しかし自分ってなんでこう抜けてるんだろ。
はあ…。(ため息)
寿司はとっても美味しかった。
1月29日(金)
三人展初日。
私はオープンの11時から在廊。
2人は仕事を早く切り上げて、後から来る。
1番目のご来場者は、通りがかった女性の方だった。
「たまたま通りがかって、きれいだったから…」
と言ってくださった。
その後も人が来てくださる。
滑り出しはゆったりペース。
落ち着いた時間が流れ、静かな青い空間を時々ひとり占め。気持ちいい。
昨年に引き続き、
東京在廊時の大きな楽しみのひとつである、
オーナーによる近所のお弁当屋さん指南を受ける。
去年よりもワゴンカーのお弁当屋さんが増えている。
迷った末、
近くの新しいワゴンカーの弁当屋さんのガパオライス弁当にしたら、
おいしい!大正解!幸先がいい!
13時過ぎに岩間さん到着。
岩間さんは鮮やかな青のニットワンピ。
私の忘れてきたセーターも同じくらい青かったんだけどな…。
16時頃、竹内君が到着。
竹内君の服が、あんまり青くなかった。笑
オープニングパーティーはたくさんの方が来てくださり盛況だった。
日本酒の一升瓶をいただき、
しかも大好きなGRAPHがデザインを手がけた「富久錦」のお酒だった。
ううう(歓喜の泣き)、ありがとうございました。
友人イラストレーターのニシヤマイスキーもお酒を持ってきてくれて、
それはなんと、猫の形をした真っ青なボトルだった。
私と岩間さんは示し合わせたわけではなく
展示作品に猫を描いていて、
しかもボトルの青色も今回の展示の青とぴったりで、感激だった。
マイちゃんありがとう。
(後日、興奮しながら「どうやってあんなの見つけたの!?」と聞くと、
「『酒』『青』とかでひたすらググったのさ、ふふふ」と言っていた。)
オープニングパーティーの食べものは、
岩間さんの友人が営む経堂の食堂カフェ、OSSEさんに
ケータリングをお願いした。
青にちなんだメニューを、とリクエストして、
用意してくださったのがこちら。
−−−
●青大豆と青魚(ツナ)のコロッケ
●チキンとペンネの青じそジェノベーゼ
●ブルーチーズと青リンゴのケークサレ
●ブルーベリーの豆腐チーズケーキ
●ブルーマロウティー
(青い色のハーブティーで、レモンを入れると紫〜ピンクに変わる)
−−−
私は事前にこの字面を見ただけで、
美味しそうすぎて期待が膨らみすぎてテンションがおかしくなってしまった。
そして膨らんだ期待を超えるほど、とても美味しかった。
二次会は中華屋さんへ。
先輩イラストレーターの方々やデザイナーの方もいらしてくれてうれしかった。
思い出に残る、楽しいパーティーとなりました。
雨の中お越しくださった皆様、OSSEさん、
本当にありがとうございました。
1月30日(土)
三人展2日目。
土曜日は3人揃って11時から在廊。
色んな方がお越しくださり、なんだかあっという間に時間が過ぎた。
3人の出会いの場であるPALETTE CLUB SCHOOLで講師も務めておられる
イラストレーターの大先輩も来てくださり、うれしかった。
お昼は楽しみにしていた、土曜日限定のスープ弁当。
スープはさつまいものポタージュだった。
ポタージュずきなのでうれしい。おいしい。
1月31日(日)
三人展3日目。
この日もオープンから3人揃って在廊。
かなり混み合った時間帯もあり、お話できなかった方々も。
たくさん来てくださり有難いなあ、としみじみ思う。
お昼はまい泉のミニかつ丼。
この日はどピンクのニットを着ていき、少し肩身がせまい。
でも色合い的にきれいだったと思う。
2月1日(月)
三人展4日目。
毎日あっという間に過ぎる。
この日のお昼は、近くのワゴンカーのロティサリーチキンのお弁当。
皮がパリッ!で中はしっとりジューシーで、とてもおいしかった。
在廊中のおいしかったお昼ご飯、
「おいしい食べものシリーズ」で描くぞ〜!と思ってたのに、
毎回ほぼ食べ終わった時点でそのことを思い出し、
写真を撮ろうにも時既に遅し、ご飯はとっくにお腹の中…。
2月2日(火)
三人展5日目。
お天気とても良し。
去年と同じ、ギャラリーに向かう道の橋の上から見た青空がきれいだった。
青・青・青 な空だなあ、としばし見入る。
すると直後に、今回の展示作品とリンクするような「青」な詩がツイッターで流れてきて、知る。
ぴったりすぎてびっくりした。
これ以上なく感動してしまった。
一日の、いい始まりだった。
お昼はまい泉のカツサンド。
夜はおいしいカレーを食べにいった。
キーマとチキンで非常に迷ったけどチキンにした。
とてもおいしかったし、楽しかった。また行きたい。
2月3日(水)
三人展最終日。
お昼ごはんは、去年食べておいしくて、
また食べるぞと決めていた「パンとエスプレッソと」のパニーニ。
今年はゆで卵とアンチョビのにした。
セットにして、にんじんのラペとカフェラテ付き。おいしい。
やっぱりあっという間に時間が過ぎる。
最終日ということもあり、夕方だいぶ混み合う。
17時になり、三人展終了。
お疲れ様でしたー!
搬出作業後、オーナー達と3人とで、
今回の三人展を振り返っての話やこれからの話をする。
帰りは、スーツケースと手持ちのカバンが重たくなりすぎたため
(一升瓶やワインボトル入り)、
今年はタクシーで駅まで行くことに。
岩間さんと竹内君に見守られ青山通りでタクシーを拾った。
タクシーに乗るとなんだか急に力が抜けて
座席にズブズブ沈み込んだ。
品川駅までと東京駅までとどっちが安いですか?
そんなに変わらないよと運転手さん。
じゃあ東京駅までお願いします。
向かう途中で通った皇居のまわり、
ものすごくたくさんの人がランニングしてる。
人の切れ目なく大勢走っている。
夜なのに、寒いのに、みんなすごいなあ。
京都はこんなに走ってないよ。
今回私は、
5年前に亡くなった父のことと、
その少し前に亡くなった長生きしてくれた猫のことや、
もう会えない人達や、
いつか会えなくなるかもしれない今大切な人のことを考えながら、
展示作品を描いた。
そんなことを思い返したら、
あと無事展示が終わって緊張の糸がぶち切れて
何かがどっと堰を切ったのか、
タクシーの中でボロボロボロボロ涙が出てきて止まらなくなった。
ああいかん決壊した。止まらないよ鼻水が。
そしてティッシュを持っていないよ。
と思いながら私は、
前の日の朝、青い空を見上げた橋の上で知った、
寺山修司の作という詩を思い出していた。
「さみしいときは
青 という字を書いていると
落ち着くのです
青 青 青 青
青 青 青 青 青 青 青
青 青 青 青 青
青 青 」
おわり。
関連ページ
→ 初三人展日記おまけ写真
→「青・青・青」展示風景
→ 物語つき作品ページ「青い感傷」
→ 去年の「東京初個展日記」
井上洋介さんの「ぼうし」
井上洋介さんご逝去の報に接して。
「ぼうし」が大好きで、
言葉で表せないくらい今も大大大好きだ。
知ったのは大きくなってからだけど、
好きな絵本ナンバーワンかもしれない。
甥っ子にもプレゼントして、一緒に声を出して読んで、
その時のリズム良く弾んでいる甥っ子の声はずっと頭に残っていて、
今でもすぐに思い出せる。
“ ねずみやさんで
ねずみぼうし
かいました ”
心より、ご冥福をお祈りいたします。
今の時代がいちばんいいよ
というタイトルの、
先月12月に発売になった前野健太さんのCDをずっと聴いている。
1年前、ガケ書房ラストライブで「さみしいだけ」を聴いて、
なんかなんでも頑張れる気がする と思っていたっけ。
好きな曲はたくさんある。
CDに入ってた新曲もすごくいい。
最近は、
前から好きで今回このCDにも入っている「このからだ」という曲がよく響いて、
今いちばん聴きたいと思っていた。
するとリクエストは通ったのであった。
音楽や、音楽を生で聴くことが体や心に与える力はすごいなと思う。
小学生の感想文みたいだけど。
そして今またなんかなんでも頑張れる気がしている。
馬鹿者と言われて
久しぶりに馬鹿者と言われた。
のに、とてもすっきり晴れやかな気分。
この歳になると叱ってくれる人は滅多にいないもんな。
それに全く、その通りだしな。
と、なぜか元気が出てきてしまった。
だからって叱られるのが好きというわけでは断じてない。
ちなみに初めて就職した前の会社は社長が怒るとめちゃくちゃ怖くて、
しょっちゅう怒鳴られていた。
忘れられない一言は
「この…
どたわけがーーーっっ!!!」
すごい怒鳴りで、周りの空気がビリビリ震えたように感じた。
後で階下の別室にいた先輩からビル中に響き渡ってたよと笑われて、
なぐさめて(?)もらった。
思い出す度に苦笑する。
「どたわけ」のインパクトはすごかったなあ。
これはもうこの先、誰にも言われることはないだろうなあ。
(そうであることを願う…。)
舞妓プラズマ
肺炎は結局、「マイコプラズマ肺炎」だった。
そのことをある友人に、メールのついでに伝えた。
すると、
「舞妓プラズマ…前衛的古典芸能な肺炎って感じ?」。
よっぽどスルーしようかと思ったけれど、
「そんなに若くないので、芸奴プラズマです。」
と返しておいた。
まだちょっと咳は出るけれど、だいぶ元気になった。
(芸奴…もとい、マイコプラズマ肺炎は咳が長引くらしい。)
いろんな人に心配していただき、励ましていただいた。
この日記を読んで知って、連絡くださった方もいた。
人の優しさが身に沁みた。
用心しつつ、平常運転に戻していきます。
ご心配くださった皆様、ありがとうございました。
肺炎
なんと肺炎にかかってしまった。
かれこれ2週間、自宅で療養している。
1週目は39〜40度の熱がずっと続いてものすごくしんどかった。
しんどすぎて大人げなく泣いた…。
もう前回はいつ出したかわからないくらい(中学生の時とかかな?)
滅多に出ない鼻血がいきなり夜中に出て、混乱したりもした。
(鼻血が肺炎や熱と関係あるかはわからないけど。)
今は熱も下がって、こないだのレントゲンでは肺の炎症もだいぶ治まっていた。
やる予定だったことが全然できず焦ってもいるけど、
まずはしっかり治しきること、と思って安静にしている。
肺炎は、肺の中の肺胞で炎症を起こして肺機能に障害をきたす疾患であって、
ただの風邪じゃないこと。酸素供給に問題をきたすということ。
なので甘く見てはいけない、と教えてもらった。
早く完治しますように。
雑記 20151116
毎年10月半ばぐらいになると、その年の「個人的ベスト○○」を考え始める。
重大な出来事ベストテン、
初めて知った音楽でよかったやつベスト3、
ベストライブ、ベスト映画、ベスト漫画、
心に響いた言葉、心に残った展示、
個人的流行語大賞、などなど …。
前年、前々年のこれらを思い出してみるのもよい。
そんなことをやっているといくらでも時間を過ごせてしまう。
ふと我に返り「ああ、私また ひとり遊びしている」と思う。
その瞬間が最近はちょっとさみしい。
シルクスクリーンは楽しいな
先日久々にシルクスクリーンを刷りに行った。
去年の冬は東京個展の制作のためによく通って、
特に12月と1月は毎週末、年末年始もどっぷりシルク漬けだった。
インクのにおいが体に染み込んでいた。
そしてその後数回行った以来、
久々だったのでちょっと不安もあったけど、
最初に感光剤を塗る行程がばっちしきれいにいって、
幸先よく、調子に乗ってスタートできた。
感光剤が乾いたら、版を焼きつけて、水洗。
水洗するときシャワーでジャージャー流すのはとても気持ちいい。
それを乾かしてる間にインクを練って混色して、
小さな面積で何回も試し刷りして、イメージしてる色に近づける。
どの色をどれくらい混ぜるか、その塩梅が難しく、
ここはなんども繰り返す忍耐が必要になる。
思い通りの色が出来たら心の中で「天才!」と自分を褒める。
中々色が出来ない時は、
正直「ここらでよしとしようかな…」と思う時もある。
でもやっぱりこの色じゃない、と思い直し、
「横着してはいけません。」と自分に言い聞かせ、
また調整を繰り返す。
版が乾いたら、色を刷らない地となる部分を目止めする。
光にかざしてチェックして、ピンホールも目止め液でふさぐ。
版と紙を刷り台にセットして位置合わせ。
ここもしっかり慎重に。
そしていよいよ、刷る。
何回やっても、刷り始めはいまだに緊張してしまう。
インクを版に乗せて、スキージーで手前から奥に返して、
心を落ち着け、スキージーを奥から手前に「えいっ」と引いて、刷る。
ドキドキしながら版を上げ、
ぴしっときれいに刷れてたら、この上なく「快・感…!」。
準備は大変、刷るのは一瞬。
でもまあそういうもんだよな、何事も。
シルクを刷ると無心になれる。
考え事やうじうじからも解放される。
普段は座って手先だけで描いているけど、
立って動いて、腰を入れて刷る。
体全体を使ってものを作るのは気持ちいい、とっても。
昔から印刷物好きなので、
質感のある紙に刷られた、もりもり乗った厚いインクはいつまでも見飽きない。
ムラのないきれいな大面積のベタ面は、美しくて動悸息切れがしてくる。
なるべく定期的に刷りに行けるといいなあ。
そしていい作品を作って、いい展示がしたい。
涅槃の雪
つい最近、「涅槃の雪」という時代小説を読んだ。
天保の改革を背景とし、
北町奉行所の役人で33歳の独身男・高安門佑(たかやすもんすけ)
を主人公として描かれた作品。
遠山景元(遠山の金さん)、矢部定兼、鳥居耀蔵という
江戸の町奉行を務めた実在の人物たちが独特の才能と個性を持って描かれ、
門佑はじめ他の登場人物のキャラクターもそれぞれ立っていて、
普段時代小説はほとんど読まないけど、一気に楽しく読めた。
(西條奈加『涅槃の雪』 2011年 光文社 )
題名にもあるように、雪が重要な役割をもって、印象的に描かれている。
その描かれ方も好きだった。
「涅槃には雪がふるのだろうか」
そんな話が出てくる。
(「涅槃」はここでは死後の世界という意味合いで使われている。)
涅槃にも雪が降っていてほしいなと、私も思う。
雪の積もった世界は、
汚いものも悲しいものも様々な境界も覆い隠してなくしてしまって、
美しいから。
* * *
雪という字がつく私の名前は父親がつけてくれた。
小学生の頃に由来を聞いたとき、
雪という漢字には「きよめる」という意味があると教えてくれた。
「雪辱」の「雪(せつ)」なんかはそういう意味だと。
後に自分で調べてみたら、その通り
「すすぐ」「洗い清める」「ぬぐう」「除く」などの意味があった。
でも洗い清めるというよりは、降り積もって白く覆い隠してきれいにする、
という感じの方が自分では気に入っている。
めんどくさがりで時々クサいものにフタをするような自分のだめな部分にも合ってる気がする。
名前をつけてくれた父に感謝している。
生まれながらにして最高のプレゼントをもらったと思っていて、
だから誕生日プレゼントはもういらないよ、
この名前をくれただけで十分すぎるほど十分だよ、
と、いつ頃からか思うようになった。
ふゆちゃんのこと
通っていたイラストスクール、パレットクラブで同期だった
松尾布祐子ちゃんが今、初個展を開催している。
パレットクラブに通っていた当初から、
私はふゆちゃんの絵が大好きだ。
どのくらいかというと、もう、かなりだ。
的確に表せる言葉が、すぐに見つからない。
同世代のイラストレーションをみるとき、
多かれ少なかれ、
羨望や、自分に対する焦り・不安、少しの嫉妬、くやしい気持ち、
などがうまれる。
その作品が良ければ良いほど、それらは大きくなり、
へたすると何だか落ち込んじゃって帰ることもある。
でもふゆちゃんの絵でそうなったことはない。
それはもちろん彼女の絵がよくないということでは全くなくて、
ふゆちゃんの絵の前では私は、
完全にただのいちファンになれてしまうということだ。
初個展は幸い見に行けた。
ものすごくたくさんの、楽しくてセンスの良い絵が展示してあり、
描いた本人なのに「何枚あるかわからない」と言っていた。
(ふゆちゃんは性格も非常にチャーミングです)
私は「グアナフアト」という絵が、
相変わらず大好きです。
* * *
松尾布祐子 個展「ぐるっ!と中国さんぽ」
2015/9/7~9/12
東京・カフェ&ギャラリー ゑいじう
雑記 20150728
映画「しとやかな獣」、めちゃくちゃめちゃくちゃおもしろかった。
ここ最近で一番かも。
「村上さんのところ」で村上春樹さんが書いていた。
「僕の場合は本とか音楽とか猫とかが助けてくれました。」
私もそうだ。そして映画もそうだ。
美しい新珠三千代さん
最近また川島雄三監督作品を続けて何本か観た。
「わが町」、「風船」、「女は二度生まれる」。
「風船」に出演している新珠三千代さんは
「明日来る人」、「洲崎パラダイス 赤信号」でもみたけれど、
とても美しくてうっとりしてしまう。
端整で柔和な美しさの中に強さや退廃も感じる。
シャーロット・ランプリングが私は好きなのだけど、
新珠三千代さんを好きと思う気持ちはそれに似ている。
川島作品以外の出演作はまだ見たことがないので、
他の監督の作品もみてみよう。
ザ・ベスト・オブ・ビールおいしいmonth。
ビールは年中おいしい。
春でも夏でも秋でも冬でもおいしい。
でも一番おいしい月は、6月で決まりかもしれない。
そう思うほど非常においしく感じた日が何回かあった先月の6月だった。
蒸し暑さとじめじめ感がおいしさに拍車をかけるのかなあ。
「くーーっ。この1杯のために生きてる」
ベック!!!
ベックがニューアルバムを出すらしい。
新曲の一部がネット上で連日続々公開されていて、胸が高鳴る。
その名も『DREAMS』。
今度のアルバムは素晴らしき前作『Morning Phase』とはまた違って、
アッパーでダンサブルな感じみたいだ。
楽しみで仕方がない。
わくわくする映像はこちら↓
https://www.facebook.com/Beck/videos/10153429374626532/
ところで最近、あれもこれも描きたくなったり、
今まで描いたことがなかったジャンルのものを描いてみたらなんかいい感じだったり、
一方で描いてみたもののなんじゃこりゃああああ!というものがあったり、
楽しいです。
楽しいので、しばらく遊ばずに集中してがんばりたい!という気持ちです。
(別に普段も遊んでるわけじゃないのですが。)
体力つけてはりきっていきましょう 2015サマー。
雑記 20150609
友達が、個展お疲れ様、
この後ものんびりする暇はないかもしれないけど
気分転換が必要になったら読んでね、と、
全11巻分の漫画を電子書籍で送ってきてくれた。
ありがとう、そうさせてもらうよ、と思ったそばから、
気分転換どころか一気に全部読んでしまった。
漫画とお菓子は「少しずつ」ができない。
残っていると気になって気になって、
気になりすぎて心身に悪影響を及ぼす気さえしてくる。
すぐそこに漫画の、お菓子の残りがあるというだけで、
目の前の仕事に全然集中できなくなる。
それならいっそ、たとえ他にやらなければいけないことがあったとしても、
一気食いは良くないとわかっていたとしても、
完読、完食の方がいいさ。と開き直ってやってしまう。
久々の漫画一気読み、楽しかったです。
オーガフミヒロさんの絵
先週、画家のオーガフミヒロさんの絵を見に行った。
京都・蔵丘洞画廊 「オーガフミヒロ展」。
哀しいけど優しくて静かで、
今抱えてるやるせなさや淋しさに寄り添ってくれる…いや、というより、
こちらがそういう気持ちを胸の中から取り出して、
手に持って、
絵に寄っていきたくなるような感じだった。
そしてその傍らでただじっと坐っていたくなるような感じだった。
そんなふうに思った。
なので先週、オーガさんの絵をみてからずっと、
私はそのすぐ傍らで、たいくすわりでじっとしている。
* * *
オーガフミヒロ展
2015/5/16~5/30
京都・蔵丘洞画廊
北インド古典音楽の夜
去年ハマった北インド古典音楽。
今年もアバンギルドとカフェパランに聴きに行った。
去年タイトルを覚えて帰ったのは「ハンサドゥワニ」と「マドバンティ」。
今年覚えたのは「チャルケシー」と「ラゲシュリー」。
今年は、アバンギルドではハンサドゥワニとラゲシュリーが、
パランではチャルケシーとラゲシュリーが演奏された。
(昨年と同様、タブラ奏者はアバンギルドがユザーン、パランが松本こうすけさん。
サントゥールはどちらも新井孝弘さん。)
今年は何と言っても「ラゲシュリー」だった。
明るくて爽やかで美しい旋律。
その裏で細かく速く軽やかに刻まれるリズム。
タブラとサントゥールのかけ合い。
スピードアップしていって、たまらぬトランス状態。
一瞬の休止の後で、堰を切ったように再び音が溢れ出す。
あー なんて気持ちいいんだ。
なんてかっこいいんだ。
特に、パランでのラゲシュリーがたまらなく良かった。
終演後、奏者のお二人への人だかりを尻目に、
興奮覚めやらぬ気持ちでそそくさと店を出る。
外はもう暗い。
少しだけ雨が降ったので空気が冷たく湿っていて、それが心地よい。
ものすごく良かったライブの帰りは、
すぐに電車に乗らずに少し歩きたくなる。
歩いていると自然に顔が上を向く。
さっきまで鳴っていたメロディを頭の中で繰り返し、
リズムは気付いたら歯をカタカタ言わせて再現していた。
初夏の夜の空気に、何かの植物の芳醇な匂いが混ざっていて、それも心地よい。
北インド古典音楽。
知ってよかった北インド古典音楽。
少し寝ちゃっても罪悪感を感じないとこもいい。
チューニングにすごく時間がかかる上に1曲がとても長いので、
きっぱりすっぱりアンコールが無いとこもいい。
今年も少しだけ、新井さんと会話した。
京都が好きだと仰っていた。
去年描いた絵。「サントゥールを奏でる人」。
雑記 20150502
「村上さんのところ」が更新終了となった。
私が村上春樹さんを読み始めたのは
2006年の村上朝日堂ウェブサイトが終わってしまってからだったので、
リアルタイムで村上さんからのお便りを読むのはこれが初めてだった。
とっても楽しい4ヶ月間だった。
初めて読んだ一冊は「回転木馬のデッドヒート」。
初めて読んだ長編は「海辺のカフカ」。
この時の読書体験は今でも忘れられない。
新作が出る、と聞いて、
小躍りして喜ぶような好きな小説家がいるということは幸せなことである。
雑記 20150415
雨続きの毎日。
4月なのに梅雨みたい。
でも冷たくなくて激しくなくて、個人的にはそんなにいやではない。
3月中旬から4月上旬にかけて降る長雨を「菜種梅雨」と呼ぶらしい。
こないだ初めて知った。いい響きだな。
最近疲れやすくて、さらにその疲れがなかなか取れない。
もっと体を動かさないといけないのかもしれない。
体は動かすとして、調子のわるい時はゆっくりいこう。
こんな春もある。
blueな歌
昔から、色なら青が一番好きで、
そのせいかタイトルにblueがつく曲は
そうでない曲よりもだいぶ気になる。
blueのつく曲って、けっこうたくさんある。
一番好きなのは、ボニーピンクの「You Are Blue, So Am I 」。
メロディーと歌詞、それらのくっつき具合、アレンジ、歌声、
とにかく洒脱で軽やかで、
でも物憂げでやるせなくて胸をキュッと掴まれて、
明るい曇りの日に一日中降っている穏やかな細い雨みたいな曲だ。
そう、ちょうど今日のこんな日のような。
こういう曲って一体どうやって生まれるんだろうとただただ感心する。
この曲が収録されているアルバム『let go』も、
一枚通してかっこよくって大好きだ。
フィッシュマンズの「BABY BLUE」、
曽我部さんの「ブルー」に「ブルーのこころ」(アルバム『blue』も。)、
ミッシェルの「blue nylon shirts」もいいですね。
最近なら、ベックの「Blue Moon」。
あ、奇妙さんの「ブルームーン」もいいなあ。
ブランキー・ジェット・シティの「Don’t Kiss My Tail 」 は、
タイトルにはついていないけど、
歌詞に「コバルトブルーの心の奴」というのがでてくる。
「コバルトブルーの心の奴」って、
ようわからんけどきっとすっごくかっこいいだろうなあ。
これも大好きな曲。
20150319
昨日は安西水丸さんのご命日だった。
1年前のこの日のことを色々と思い出して過ごした。
夕飯がカレーだったので、
「これは」と思い日本酒と合わせた。
〆張鶴じゃなかったけど。
知らずに、カレーと日本酒、あわないね、とつぶやく母を尻目に、
「ふふふ」と思いながら飲んだ。
1年たった今は、もうちゃんと、
「ご冥福をお祈りします」と言えるようになった。
ご冥福をお祈りいたします。
でもやっぱり、SISで絵を見てもらいたかったし、
お酒をご一緒したかったです。
安西水丸さんのこと
東京初個展日記
2015年1月29日(木)
搬入日。
京都から新幹線で東京へ。
表参道に着き大荷物でギャラリーに向かっていると、
若い女の子が声をかけてきて、
自分もその方向に行くからと荷物を持ってくれた。
なんて親切なんだ!
とても助かった。
搬入作業が始まり、緊張して終始あたふたしていたが
ギャラリーのオーナーとスタッフの方がテキパキと事を進めてくれる。
作業中、外国人のお兄さん2人組が覗いてきて、
「ビューリホー」と言ってくれた。
作業が完了し会場が出来上がると、
想像していたよりも良くって嬉しくなった。
京都の人達にもこの会場を見てもらいたかったなあ、と思う。
そう思える空間になってよかった。
その後は、近くのギャラリー「スペースユイ」で開催中の「安西水丸展」へ。
「夜のくもざる」の装画を中心に展示されていた。
そうじゃない絵もいくつかあり、「花とレモン」というのもその一つで、
初めて見たけれどとても素敵できゅんとする絵だった。
水丸さんの今までの個展の際の、写真入りの手書きの挨拶文も展示してあった。
幸運にも会期が重なって、見に行けて本当によかった。
ホテルに着くと緊張や疲れやそれまでの不安や寝不足や
なんやかやが一気に噴出して、というか解放されて、
買った缶ビールを一口飲んで気絶するように眠っていた。
深夜に目覚め、また眠った。
1月30日(金)
個展初日。
東京に今年初の積雪。
そんな雪の中、オープンしてすぐに2名ご来場くださる。
とてもありがたく、ほっとして、うれしかった。
雪は雨に変わり夕方には止んで、
18時からのオープニングパーティーにも寒いなか人が集まってくれた。
京都から持っていった日本酒を皆たくさん飲んでくれてよかった。
最後の挨拶、何を言うか考えずにしゃべり始めたら、
「京都と東京を股に掛けてがんばっていきます」
と口から出てきて、あ、今後もこれ使おう、と思った。
1月31日(土)
個展2日目。
前日とは打って変わって快晴。
たくさんの方がご来場くださり、
心震えるような励みになるお言葉や、貴重なアドバイスをいただく。
家族も京都大阪から来てくれた。
京都には無いものが東京にはあり、
東京には無いものが京都にはある。
股に掛けていいとこどりしてやっていきたい。
2月1日(日)
個展3日目。この日も快晴。
ギャラリーに向かう道すがら、橋を歩いて渡るのだけど、
そこから見た雲ひとつない広い青空が美しかった。
ああ、なんにもないなあ、と思ったら
「はじめ人間ギャートルズ」の「やつらの足音のバラード」を思い出して、
1日中頭の中で歌っていた。
なんにもないなんにもない青空。
この日も色んな方が来てくださった。
ありがたい限りだ。
2月2日(月)
個展4日目。快晴。
会期後半に突入。
思いがけない方が来てくださったり、
今まで少ししかお話したことがなかった方とゆっくりお話できたり。
うれしい反応やお言葉をいただき勇気が出る。
ところでお昼ご飯は在廊中の毎日の楽しみの一つで、
ギャラリーのオーナーに近隣のお弁当屋さんの日替りメニューについて
詳しく聞くのが日課になっている。
(絵の話よりも真剣に聞いているかもしれない)
この日はタコライスのお弁当にした。
プラス100円でじゃがいもとベーコンのスープもつけた。
おいしかった。
2月3日(火)
個展5日目。快晴。
今日を入れて残り2日かと思うと、
あの人はまだ来てないけど果たして来てくれるのだろうか、
という方々の顔を思い浮かべ、ソワソワしてくる。
イラストレーターの大先輩がお越しくださり、
ロメールについて書かれた新聞記事のコピーをくださる。
2010年に89歳で亡くなった際のものだった。
読んで、ロメールという監督がまた好きになった。
この日のお昼は「パンとエスプレッソと」という近くのパン屋さんの
生ハムとモッツァレラチーズのパニーニにした。
セットにして、人参のラペとエスプレッソ付き。
とてもおいしかった。
また食べたい。
閉廊後、オーナーが
「明日で終わっちゃうねー」と言ってくださり、
少ししんみりした。
そして、「もしかして今日満月なんじゃない?」。
調べてみると、翌日の個展最終日が満月とのこと。
わお!はからずしも「満月の夜」に会期を終えられるなんて!!
とテンションあがる。
2月4日(水)
個展6日目。最終日。快晴。
あと一週間やりたいよー、
と思いながらギャラリーへ。
最後のお昼ごはんは「まい泉」のミニかつ丼と
肉じゃがコロッケにする。
日替りお弁当屋さんがカレーと焼肉丼だったのでかなり深刻に迷ったが、
初日のお昼はまい泉のカツサンドにしたので、
まい泉で始まりまい泉で締めくくりたい、という気分になった。
最終日ということもあり、
なかなかお昼を食べるヒマがないくらい立て続けに人が来てくださる。
来客が少し落ち着き、オーナーとしめさばの話をしていたら、
すごく緊張する方がお越しくださり背筋がシャキーーッッとなる。
しめさばから一気に別の世界へ。
その後も、様々な方が来てくださる。
そして17時。
私の東京初個展終了。
搬出作業を行い、オーナーと色々お話しする。
これからより一層がんばるぞ、と思う。
ギャラリーを後にして、満月を見ながら駅へ向かう。
自分にとって、とても良い一週間だったな、と思う。
色々考えを巡らして感傷的になりかけるが、
おセンチになってる暇はない、と言い聞かせ、
京都への帰路を急いだ。
変態はステキ
1月15日、京都・拾得に、
早川義夫さん、山本精一さん、柴田聡子さんの3人ライブ、
「変体はステキ」を聴きに行った。
(素敵なツアータイトルだ。)
早川さんは2回目、
柴田さんも2回目、
山本精一さんはみるの初めて。
とてもステキなライブだった。
最後に3人で演奏された「まさおの夢」はトラウマ級で、
一瞬で心に焼きついた。すごい。
ガケ書房でも聴いた、
早川さんの「猫のミータン」。
猫といるように人といれたら、幸せだろうなあ。
「身体と歌だけの関係」は、この日初めて聴いた。
これはカバーだそうだ。
この歌はもう、かっこよすぎて反則だ。
今日は泣かんだろうとの予想むなしく、
色んな歌にまたもや涙腺を刺激され、
涙と鼻水垂らして帰った。
雑記 20150123
個展を行うということは、ものすごく勉強になる。
打ちひしがれることも多いけど。胃もキリキリするけれど。
『「ひとりでやってやる」という姿勢が、
絵を描くのでも酒を飲むでも映画見るでも、
いちばん人を成長させますね。』
とは大好きなイラストレーターの先輩のお言葉。
まったくその通りだと思う。
私は一人でお酒が飲める人と一緒にお酒が飲みたい。
一人で旅行に行ける人と一緒に旅行に行きたい。
一人で映画館に行く人と一緒に映画をみたい。
「一人が平気な人同士が一緒にいるのがいいなと思う」
と、昔友達と話したっけなあ。青くさく若かりし頃に。
なんか話がずれた。
個展準備がんばろう。
雑記 20150112
1月11日は今度の個展でテーマにしている映画の監督、
エリック・ロメール監督の命日だったそうだ。
好きと言いつつ知らなかったけど、
ユーロスペース(http://www.eurospace.co.jp/)
に置かせてもらったDMで個展のことを知って下さった方から教えていただいた。
個展のお知らせをするようになってから、
ロメール好きの人とどんどん出会うようになった。
うれしい。
さみしいだけ
どんなに忙しくても京都に来たら絶対聴きに行きたい人、
前野さんのライブに行ってきた。
場所は先日と同じく、来年2月には移転して名前も変わってしまうガケ書房。
リクエストタイムに恐る恐る「さみしいだけ」を言ったら
なんと即決で演ってくれた。
色々あって目まぐるしかった今年の最後の最後にプレゼントをもらったような気分で、
もうなんかなんでも頑張れる気がした。
「さみしいだけじゃいやかい?」
「そんなのいやよ」
「さみしいだけじゃだめかな?」
「そんなのいやよ」
早川義夫さんを知ってしまった
先日、好きな本屋さん・ガケ書房で行われた、
早川義夫さんのトーク&ライブイベントに行ってきた。
初めて早川さんを見て、早川さんという人の一端を知り、
歌を聴いた。
それまでは、ちらちら名前を目にしたことがあるだけだった。
今回も、歌を聴いてみたいからというよりも、
バンドでデビューして早くに解散して引退して個人書店の店主をずっとされていて、
そして再び歌う世界に戻ってきた方、というところに興味をもって
イベントに申し込んだのだった。
なのにそしたら、
歌に思い切り心打たれてしまって、
どうしようもなく涙がボロボロボロボロ、ダムが決壊。
イベント後、「ぼくは本屋のおやじさん」と、
「生きがいは愛しあうことだけ」というエッセイの文庫本を2冊買った。
(「生きがい…」は、せっちゃんが帯を書いていたからという不純な動機。)
その後で、ガケ書房店長の山下さんとお話ししたら
「『たましいの場所』すごくいいですよ」と教えてくださったので、
それも追加で買って帰った。
そして「たましいの場所」から読み始めた。
(ちなみに「たましい…」の帯はクドカンだった。)
本当にすごくいい本で参ってしまった。
読み終えて、胸が痛い。
早川義夫さんを知ったことは、今年の重大事件のうちのひとつだ。
とんかつ話は続く
食べる方とは、また別のお話。
京都・拾得での前野健太さんのライブで
「とんかつの唄」を聴いて川島雄三監督のことを知り、
「喜劇とんかつ一代」や「とんかつ大将」をみてみたいなあ、
と思っていた矢先のことだった。
去年からよく行くようになったバーに、いつものように1人で飲みに行った。
私より先に、一人の常連さん。
その方はUさんといい、以前一度同じように居合わせて、
お話ししたことがあった。
その時は大の鰻好きだということをお聞きして、
京都で鰻のおいしいお店をたくさん教えていただき、
ケータイにメモして帰ったのだった。
私は今、京都の無料タウン誌(月刊)を作る会社に勤めている。
冊子ができたらそのバーのマスターに1冊渡しており、その日もそうした。
その時の特集は「ざるそば」だった。
マスターはその場で、Uさんにそのざるそば特集の冊子を紹介してくれた。
Uさん
「ざるそばいいねえ。ざるそばの映画なんてあったらいいのにねえ。」
私
「ほんとだそれはおもしろそう…。
…あ、ざるそばじゃないけど、とんかつの映画ならあるって最近知りました。
『喜劇とんかつ一代』っていう。」
Uさん
「え?川島雄三監督の?知ってるの?」
Uさんはそういえば、映画やドラマのカメラマンだと
前回マスターから教えてもらっていたのを、その時思い出した。
川島雄三監督も、当然ご存知なのだった。
私は映画をみるのが大好きだけど、邦画はほとんど見ていない。
小津もクロサワも、だ。
2007年以降の7年間でそれまでに観ていた邦画というと、
・人にタダ券をもらった「わが母の記」
・人から教えてもらった河瀬直美監督作3本
・去年観た今さらながらの「かもめ食堂」
・友人が制作した「名前のない舟」
・人から教えてもらった山戸結希監督作2本 くらいだと思う。
(「映画鑑賞記」参照。)
きっとそのうちタイミングが訪れて、どの道ハマるものはハマるだろうから、
今のところ無理に鑑賞せずに放ってある。
川島雄三監督だって、前野さんのライブに行かなければ、
そこであの「とんかつの唄」を聴かなければ、
ずっと知らないままだったかもしれない。
そんなことや、川島雄三監督を知ったいきさつもそのままお話ししたが、
しかしUさんは、
「若い女性が川島監督を知ってるなんてなあ~」と感心してくださった。
(若くもないのだけれど…)
その時にはもう川島雄三監督の映画を見てみようと決めていて、
DVDレンタルのサイトで借りられるタイトルに目星を付けていたので、
「興味を持った監督の作品をみはじめる時はいつも、
年代順にするか代表作といわれているものからにするか迷う」
という話をUさんにして、
何から観るのがおすすめですか?と聞いたところ、
「今観られるものを、作られた年代順に、
ひとつずつみていくのがいいと思いますよ。」
と言ってくださった。
というわけで、
「明日来る人」「愛のお荷物」「洲崎パラダイス 赤信号」と観て、
次は「幕末太陽傳」の予定だ。
先日またそのバーに行くと、Uさんがいらっしゃり、
なんと「とんかつ大将」のディスクを持ってきて下さっていた。
私がいつも借りるDVDレンタルサイトで貸出しはされていなかったが、
ディスク化はされていたらしい。
(ちなみに、「喜劇とんかつ一代」はされていないみたい。)
「雪野ちゃんへ」と書かれたシールが貼ってあるその「とんかつ大将」を
うきうきした気分で持ち帰り、
数日後に迫った初展示の準備が一瞬落ちついた日曜日、家でゆっくり観た。
戦後7年目の東京下町を舞台にした人情映画。
下町の長屋での人間模様や、主人公の選んだ生き方、叶わない恋。
登場人物もそれぞれに魅力的だった。
主人公とんかつ大将の友人の艶歌師・吟月さんが特によかった。
映画をみると、やっぱりとんかつが食べたくなって、
またたくましくとんかつを食べに行くぞ、と心に決めたのだった。
雑記 20140924
ペンギン・カフェの演奏を聴きに行ってきた!!
以前、北インド古典音楽の生演奏を初めて聴いて、
「今年ベストライブかもしれない」と書いたけど、
昨夜のペンギン・カフェも、今年一番かもしれない…。
熾烈なデッドヒートだ。
それくらいよかった。
なんだか昨日のことを思い返しただけで
胸があたたかくて、
ああ、音楽っていいなあ、としみじみ思う。
昨日の公演のことについてはまたあらためて書くかもしれない。
ひとまずこの感動だけメモ。
友達になりたい
先日、友達になりたかった人と友達になった。
「あの子と友達になりたいな」という気持ち、
長らく忘れていたような気がする。
大人になってからはそう思う間もなく友達になってる場合が多かったのかな?
「今日から友達」みたいな、
久しぶりにそんなレトロな(?)感じを思い出して、
ちょっと照れくさいけどとても嬉しかった。
同じ年生まれの同姓の友達。
というわけで最近は「スイカの名産地」をよく歌っていた。
夏の終わりとサマーネバエンド
今年の夏ももう終わり。
気付けば「なーつのおーわーりい~」と口ずさんでいる。
昔は夏が苦手だった。
でも大学生の頃くらいから、
とにかくビールが美味しいところは良い、とか
夏の夕暮れは好きだ、とか、夏の夜風も好きだ、とか
昼寝してしまって汗だくで起きた時のけだるさはけっこう気持ちいい、とか
暑い外から帰ってきて淹れるおいしいアイスティーとか
夏の夜の待ち合わせとか
夏に聴くフィッシュマンズとか他にもぴったりの音楽とか、
少しずつ夏の好きなところを集めていったら、
今ではもう苦手ということはなくなった。
今年の夏の一番の思い出は自転車で顔からこけたこと…。
(下記参照)
それから、恵文社で受講した
鈴木成一装丁イラストレーション塾@京都も刺激的だった。
祇園祭は行かなかったし花火も見なかったけど、
すべりこみで浴衣を着てビアガーデンに行って、
夏らしい気分を味わった。
SUMMER NEVER END 、と、
かつて誰かが歌っていた。
今年の夏はその気持ちが初めてわかったように思う。
いつまでも忘れたくない夏の思い出も、
いつかは薄れていってしまうだろうからせめてもと、
同じようにつぶやいてみた。SUMMER NEVER END。
かくて今年の夏もいきにけり。
---------------
おまけ・夏の出来事。
お盆の真ん中、おはぎを買いに自転車で走っていたら顔から転倒。
直後は左頬がDV男に殴られた女性もしくはミリオン ダラーベイビーのように。
その後腫れはひいて、擦ったところが大きなかさぶたになり、
しばらく情けないバンソーコー顔で過ごす。
今はかさぶたもきれいにとれ、少し赤みが残っているくらいです。
たいしたことにならなくてよかったです。
(クリックすると大きな画像が開きます)
おまけ2。
ストーミー
こないだの週末は台風が来ていて、
特に土曜の夜から日曜日の昼にかけて雨風が激しく、
大阪で見に行くつもりにしていた展示が最終日だったけど、
泣く泣く断念した。
でも、台風の日の昼間に部屋でベッドに寝っころがって、
窓の外のザアザア降りを眺めるのは好きだ。
そしてこういう時は、
雨風は強いけど曇った空は明るく高くポカンと白くて、
それも好きだ。
台風が来ると、必ず聴きたくなる曲がある。
曽我部恵一さんの「ストーミー」。
「ジャーーーーン」というギターから始まる短いイントロ、
口ずさんでいて気持ち良くなる、いいリズムのメロディー、
ソロとアウトロのしびれるギター、
嵐の夜、恋人もベッドも何もかもが流されて、
今日が最後の今日かもと空想する少年の心情を描いた歌詞。
私は曽我部さんが大好きなのだけど、
これは特に好きな曲のうちのひとつだ。
台風の夜、ふと目を覚ますと、激しい雨がザーザーと降っている。
すごい雨だねと誰かに言いたいけれど、
そこには自分と、台風おかまいなしですやすや眠る猫しかいない。
そんな時に聴くのにぴったりな曲です。
20140727
命日を覚えている数少ないミュージシャンのうちの1人が
レイ・ハラカミさんだ。
ハラカミさんの音楽を聴いたとき、
「ピコピコしてるのに、なんて有機的なんだろう」
と驚いたことを今でもはっきりと覚えている。
それは、それまで私が聴いたことのあったどんな音楽とも違う、
初めて聴く音楽だった。
「joy」という曲を最初に聴いた時には、
光に満ち溢れた世界で、音が音として鳴っていることを
音たち自身が喜び、謳歌しているような、
そんなイメージが浮かんだ。
ハラカミさんを大好きな友達がいて、
彼女の家に泊まりにいった朝にはよくその音楽が流れていて、
心地よい空気が部屋に満ちていた。
くったくたに疲れきったときにもよく聴いて、
その優しくてカッコいい音になぐさめられたり、
じんわりと元気づけられたりもした。
京都に住んでいたハラカミさんは、
弟が働く楽器店にやって来たことがあった。
「今日誰が店に来たと思う?」
と、
帰宅した弟がめずらしく興奮気味に話したのも、よく覚えている。
それから数ヵ月後、ハラカミさんは亡くなってしまった。
今でも年がら年中、
しょっちゅうハラカミさんの音楽を聴いている。
夏にはそれが、他の季節よりも、心地よく、少し悲しく響く。
猫の曲線
先日とんかつを食べた後、築地へ行き、
この春まで通っていたイラストスクール、「
パレットクラブ」に
久しぶりに立ち寄った。
すると入り口の前に風来坊の達観猫・アキオがいた。
アキオはパレットクラブ前のアーケードに居をかまえるノラ猫で、
他にもう1匹、人懐こい「クロちゃん」というのがいる。
通っていた頃クロちゃんにはよく会ったが
アキオとはあまり遭遇しなかったので、
ラッキー!と思い写真を撮ろうとしたらiPhoneが充電切れで、
スケッチすることに。
無愛想なアキオは時々私を鬱陶しそうにチラ見しながらも、
しばしの間モデルを務めてくれた。
猫を見ていていつも思うのだけど、
猫の体の曲線はなぜこんなにも優美で、かつ可愛いのだろう。
私が特に好きなのは、背中と胸元と後頭部と耳の付け根と前脚だ。
猫好きを「ああもうたまらない!」という気持ちにさせる曲線、フォルムだと思う。
犬には無い。
「美しい」と「可愛い」を同時に感じさせるものってそう多くは無い。
猫の曲線のほかに今パッと思いつくのは、菅野美穂くらいだ。
とんかつ日和
「とんかつ食べたい!」と思ってから約1ヶ月半。
ようやくとんかつを食べました。
東京へ行ってたこの日の天気は快晴。
日差しが強く気温も高く、ビール日和。
いくつかの予定を済ませ、
遅めのお昼に何を食べようか
(もしくはどこか軽く飲めるところはないかしら)
と思い巡らしていたところ、
午前中にお会いした方と件の「とんかつの唄」の話をしたことを思い出し、
「そうだとんかつ食べよう!」と、
心はもうとんかつ一色に。
携帯で検索して数店に候補をしぼり、
ここにしてみようと決めて入ったお店がこれまた
旨い・安い・気取ってない、の三拍子揃った好みのお店で、
ロースカツ定食と昼ビールを堪能した。
心がとんかつ一色になってからの、
お店に入り、ビールを飲み、
とんかつが運ばれてきて
そのサクサクの一口目をかじるまでの時間って幸せな時間ですね。
あ、もちろん、食べ終わるまでも。
お味噌汁もお漬物もおいしく、
もりもりのキャベツの千切りの下には好物のポテトサラダが隠れていた。
1ヶ月半、食べたい気持ちを寝かせた甲斐のある、
完璧なとんかつ日和だった。
ヒレかつ定食やカツ丼もあったので、
東京に行った際はまた食べに行きたい。
雑記 20140630
とても話を聞くのが上手な友人がいる。
頭の中でぐるぐるぐるぐる考えて出口を失った、
くちゃくちゃといつまでも噛みすぎて
味がなくなったガムのような私のどうしようもない思考を、
言葉が出てくるのが遅いのを辛抱強く待って、
ふんふんと聞いてくれる。
真面目な話もくだらない話も、
同情せずに同調せずに、深刻にならずに、軽妙に。
そして後で、独特の自分の考えを述べてくれる。
これほど上手に話を聞いてくれる人はなかなかいない。
これほどどんな話もなんでもなく聞いてくれる人を他に知らない。
それなのに私はこの友人に、
きっと伝えたいことの10分の1も伝えられないだろう。
分かち合いたいことの10分の1も分かち合えないだろう。
好きな詩の一篇も伝えられないだろう。
薄青い夕暮れ時、
いつもうるさい大通りから一瞬車が消滅し、
無音になった瞬間に、
そんなことに気付いた2014年の6月。
バーの名前
バーで飲むのは好きだけど、
今まで自分でやりたいと思ったことはないし、
これからもないと思う。
ただ、人生というのは時に予想し得ないことが起こるものだ、とも思っている。
思いも寄らない事が起こって、
私がバーをやることだって、可能性としては無くはないかもしれない。
そんな時のために…ではないけれど、
バーをやることになった場合の店の名前は決めてある。
青い影
という名前にします。
プロコルハルムのあの名曲から。
「Bar 青い影」。
そんな名前のバーがあったら行きたい。
雑記 20140607
去年の誕生日、大学時代からの友人が、
何も言わずに素敵な誕生日プレゼント送ってきてくれた。
先月末の彼女の誕生日に私もプレゼントを郵送した。
その日ぴったりに届くように送ることはできず、
「少し遅くなったけど…」と書いたカードを添えて。
すると早速、彼女から手紙が届いた。
手紙には、プレゼントのお礼と感想、近況、共通の友人の話題、
また会う約束などが綴られ、そして最後に、
「それから実は…、私の誕生日は6月30日です。
(中略)年に1人はまちがいメールを送って下さるので気にしないでね!」
‥‥。
ごめん、tさん。
バカだなー、私。
とんかつ食べたい
京都には拾得(じっとく)という、とてもいいライブハウスがある。
ハコもいいし、ご飯もおいしい。
定期的にライブスケジュールをチェックして、好きな人が出ていれば聴きにいく。
先日も友人と、前野健太さんのソロライブに行ってきた。
そこで知った「とんかつの唄」という歌が頭から離れない。
1963年制作の映画『喜劇 とんかつ一代』(川島雄三監督)で、
主演の森繁久彌が歌った主題歌だそうだ。
とにかくこれがものすごくいい曲で、
サビの部分なんかは1回聴いただけで覚えてしまった。
歌詞もメロディーもとてもいい。
森繁久彌版も前野健太版もどちらもよかった。
「こんなに温かくてふっくらしてて味わい深くて(まさにとんかつだ)、
シンプルな言葉で語られて、やさしくて明るくて、
ユーモラスでグッともきて、センスのいい大人な名曲聴かされちゃあ
そのへんのペラペラな音楽(←あくまで個人的な主観によります。)
なんてますます聴けなくなっちゃうよ!」
と、いたく感動した。
しかもこの「とんかつの唄」、
細野晴臣さんと鈴木慶一さんが
ツインボーカルでカバーしているものがあるのだとか。
これは絶対に聴かねばならない。
そんな「とんかつの唄」を日中ずっと口ずさんでいれば、
もちろんとんかつが食べたくなる。
「とんかつ食べたい。最高においしいとんかつが食べたい」
とあの断面を思い浮かべおなかをすかせながら、
気付けばまた「とーんかっつの~」と歌っている。
今度とんかつ、食べに行きましょう。
●とんかつの唄
http://www.youtube.com/watch?v=rghsTJZ-p44
(歌詞も検索するとすぐ出てきます。)
雑記 20140526
仕事で町の医院に行った。
待合室に、水丸さんの絵が表紙の雑誌があった。
『毎日が発見』という50代以上が対象の暮らし系雑誌。初めて見た。
去年2013年の8月号で、「佐渡八幡人形」という郷土玩具が描かれていた。
思わぬ所で出くわした水丸さんのイラストレーション。
うれしかった。
雑記 20140523
会社に勤めて、無料タウン誌を作る仕事をしている。
少人数なので、特集企画を考え、取材をし、記事も書く。
たまに写真も撮る。(少し苦手だ。)
先日、制作中の次号に掲載する、とある喫茶店の店主に
目の前で校正をしてもらった。
文章の量は少ないのに、長い間記事を見つめ、黙っている店主。
なんだろう、どこに引っかかっているんだろう…と、いやな汗が流れる。
やっと店主が口を開いた。
OK、問題ないので校了です、とのことだった。
「この一文字の変更が、すごいですね。」
校正紙には、「が」を「も」に変えるという私の書き込みが入れてあった。
記事を一通り作成した後、最後の最後で悩んだ末に変更を決めたので、
データを直す時間がなく手書きで書き込んでいたものだった。
「この『が』が『も』に変わるだけで、全然違いますね。
広がりがでるというか。いや、これはちょっとすごいなあ。」
いやな汗は引き、かわりに最上級のうれしさがこみ上げてきた。
と同時に、怖いような、身を正したくなるような気持ちにもなった。
言葉の威力はすごい。
言葉はおもしろく、恐ろしい。
最低限、うそをつかないように言葉を使っていきたい。
思ってもいないことや、実感の伴わない耳に心地いいだけの言葉を、
無意識のうちに、軽率に、
並べ立てることのないように。
そして、言葉を大事にする人達の中に身を置いていたい。
その夜飲んだビールの、美味しかったこと!
眠れない夜の雑考
眠れない夜の雑考。
「眠れぬ夜も眠れる夜も コーヒー煙草にやまだないと!」
とは、「東京座」の帯に奈良美智さんが書いた文。
「夜中の汽笛」
とは、「夜のくもざる」で男の子が女の子に語った素敵な物語。
「『魂の午前三時』に目を覚まさないことが、幸せな人生の秘訣」(だったかな?)
とは、村上春樹さんの言葉。
寝るの大好き、いつでもだいたい寝ていたい。
寝起きの機嫌は最悪、
夜はやるべきことほっぽって
寝てしまうことしばしば。
だけどたまに、全然眠れない夜がある。
そんな時は決まってこの3つの言葉やお話を思い出す。
魂の午前三時は、
どんな人でも死にたくなるほど孤独を感じる魔の時間だという。
死にたくはならないけれど、確かに少し、わかる気がする。
考えてもどうにもならないことを考えてしまう。
日々の中に潜む小さな不安が100倍くらい大きくなる。
これがずっと続くわけではないことは、知っているのだけど。
魂の午前三時には、なるべく起きていたくないけれど、
もう眠りたいと思えば思うほど、目はどんどん冴えてくる。
いっそのこともうこのまま寝ずに、朝が来るのを待っていようか。
煙草は吸わない、コーヒーはきらしてる。
夜中の汽笛はまだ鳴らない。
『賢治ずゐぶん』
備忘録、最近の刺激。
・安西水丸+和田誠 AD-LIB vol.7 @スペースユイ
・矢吹申彦個展「板にブリキ」@HBギャラリー
・Yo La Tengo ライブ @梅田シャングリラ
・映画「おとぎ話みたい」@立誠シネマ
・映画「5つ数えれば君の夢」@立誠シネマ
・前野健太、キツネの嫁入り、石橋英子ライブ @立誠・スキマアワー
HBギャラリーで、
矢吹申彦さんが宮沢賢治のことを4コマ漫画にした
『賢治ずゐぶん』という冊子があり、
パラパラ読んでみたらとてもおもしろかったので購入した。
おもしろい人だったんだなあ、宮沢賢治って。
歩くのが人の倍ぐらい速くて、
皮付きのリンゴをたちまち3つも食べて、
子どもの頃から言葉遣いが大人のように丁寧で、
月夜の光の中でいきなり飛び上がったり、
たった一度酒席で愉快な諧謔をとばして皆を笑わせたりしたそうだ。
そして生涯童貞だったんだって。
ちなみにタイトルは、矢吹さんが4コマの元にされた
『賢治随聞』(関 登久也・著)という本を読んで、
「賢治も“ずゐぶん”じゃないか」と面白がったことからそうしたらしい。
この4コマを読んだり、仕事で取材した人の話を聞いたりして、
人はこう生きねばならない、なんて生き方はないよな、と
あらためて思った最近であった。当たり前だけど。
雑記 20140505
ゴールデンウィーク。
部屋を根底から片付けようと着手したけどなかなか進まない。
本・雑誌・紙類が多くて本棚が全然足りていない。
けれどこれらを捨てる気は始めからない。
昔から、本や雑誌に関しては、
「出費を惜しまないぞ」となぜか決めていた。
こと雑誌については、最初に勤めた会社の社長に
「たとえ1ページでも良いページがあれば、
あとのページが全部無駄であってもその雑誌は買え!」
と聞いて「その通りだ!!」と思ってから、
更に輪をかけて惜しまなくなった。
(それでもまだ、躊躇して買い逃してしまうことは多いけれど。)
必要なページだけを切り抜いて保存、
というのもやったことはあるけれどイマイチ性に合わず、
なるべく雑誌丸ごととっておきたい。
こんなでは当然片付けが進むはずもなく、
ゴールデンウィークはあと1日で終わろうとしているが
部屋は中途半端に掘り返され、
本と雑誌はそこらじゅうに積み上げられたままだ。
映画『満月の夜』のパスカル・オジェじゃないけれど、
家がもう1つほしい。
もっとも、彼女とは目的が異なるけれど。
「sqeeze me」
少し前のこと。
昼下がり、ラジオからポール・アンカの「ダイアナ」が。
ああ、いいなあとしばし浸り、
その後でふと、改めて歌詞を見たくなり検索した。
私の超悲惨な英語力でも理解できる、
シンプルでストレートで幸福感あふれる愛の歌。
と、終盤に“sqeeze me”という言葉が。
しぼる?と思って調べてみると、
sqeeze me は hug me と同じ意味だそうだ。
へ~、なんかいい言い回しだな、と思う。
と同時に、
最初に勘違いした直訳も、なんか情感あるよねと考える。
「私をしぼって」。
私をしぼって。全部しぼって、一滴残らず。
こうなると情感というより情念て感じで、
前野健太さんの歌みたいだな。
パレットクラブ卒展終了
パレットクラブの卒業制作展が終わった。
先月末から、開館は週末だけだったけれど、1ヶ月間。
初日の3月28日 金曜日13時、
「あ、始まった。」
と、
ドキドキソワソワしたような、
今まで味わったことのない、
ふわふわした気持ちになった。
その後も毎週金曜のお昼どきには、
「今週も始まった。どんな様子かな」
と、
京都から築地のことを考えた。
卒展中、パレットクラブには4回行った。
もともとあの空間が好きなので、会場に居るのは楽しく、
絵を見ている人たちの様子を眺めるのも楽しかった。
オープンすぐ、午後一番の、人気の少ない、
天窓から日が差す明るいパレットクラブはたいそう気持ちがよくて、
いつまででもいられるなあと思ったものだった。
また、在廊していると、直接感想をいただけることが何度かあり、
とても嬉しかった。
今回、卒展の直前に、水丸さんが急逝されるという悲しい出来事があった。
やりきれないぐしゃぐしゃした気持ちの中で始まった卒展。
終わった今、悲しい気持ちにかわりはないけれど、静かな気持ちだ。
そして、大好きだったパレットクラブも、16期はこれで正真正銘おしまい。
来期は通わないのでちょっとさみしいけれど、
この1年はパレットクラブで得たものを形にしていく1年にしようと思う。
そして、ここでできた縁やつながりは、
これからもずっと大事にしていきたい。
山陽堂イラストレーターズ・スタジオも、
相変わらず(というかきっと一生)未練たらたらだけど、
描きたいものややりたいことはたくさんあるので、きっと大丈夫だろう。
「雑」のつく言葉
「雑(ざつ)」のつく言葉っていいなと思い、
手持ちのコンパクト辞書で一気に書き出したことがある。
そのときのメモ↓
雑詠(ざつえい)、雑役(ざつえき)、雑音(ざつおん)、
雑貨(ざっか)、雑学(ざつがく)、雑株(ざつかぶ)、
雑感(ざっかん)、雑記(ざっき)、雑居(ざっきょ)、
雑業(ざつぎょう)、雑菌(ざっきん)、雑劇(ざつげき)、
雑件(ざっけん)、雑考(ざっこう)、雑穀(ざっこく)、
雑婚(ざっこん)、雑纂(ざっさん)、雑誌(ざっし)、
雑事(ざつじ)、雑種(ざっしゅ)、雑収入(ざっしゅうにゅう)、
雑書(ざっしょ)、雑食(ざっしょく)、雑然(ざつぜん)、
雑草(ざっそう)、雑損(ざっそん)、雑多(ざった)、
雑題(ざつだい)、雑談(ざつだん)、雑踏(ざっとう)、
雑念(ざつねん)、雑嚢(ざつのう)、雑俳(ざっぱい)、
雑駁(ざっぱく)、雑費(ざっぴ)、雑筆(ざっぴつ)、
雑品(ざっぴん)、雑文(ざつぶん)、雑報(ざっぽう)、
雑木(ざつぼく)、雑務(ざつむ)、雑問(ざつもん)、
雑用(ざつよう)、雑録(ざつろく)、雑話(ざつわ)。
馴染み深いものから、
へえーこんな「雑」もあったのね、と思うものまで。
雑感、雑記、雑考、雑書、雑俳、雑文、雑録とかが好きだなあ。
雑収入、もいいなあ。
えらそうな顔してなくて、懐が深そうなとこがいい。
- そんなわけでこのコンテンツ名は「雑文・雑記」にした。
ちなみに「雑(ぞう)」部門はこちら。
雑歌、雑木、雑巾、雑言、雑作、雑炊、雑煮、
雑人、雑兵、雑物、雑用、雑徭。
こっちは、雑煮と雑炊以外は、特に惹かれない。
雑記 20140409
ライブに行った。
サントゥールとタブラでの、北インド古典音楽の演奏。
とっても良くって、しびれた。
サントゥールは初めて聴いたけれど、目を閉じて身を委ねてしまいたくなる響き。
91本の弦を叩いたり、撫でたり、転がしたり。
繊細なんだけど伸びやかな音色。
タブラは生で聴くのは2回目。
タブラって呼吸してるみたい。会話してるみたい。
有機的で、水の中の音みたいに聴こえたり、
耳を塞いで聴く体内の音みたいだったり。
盛り上がってスピードにのって、
サントゥールとタブラでたたみかけられると、なんだか胸いっぱいになった。
ずっと聴いていたかった。
気が早いけど、今年ベストライブかもしれない。
いや、まだまだライブは色々行くからわからないけど、
でもノミネートは確定だ。
かっこよかったー。
終演後、サントゥール奏者の方が側にいらしたので楽器のことを質問すると、
「近くで見ますか?」とステージ上に移動してサントゥールを見せてくださった。
台形の盤に、水平に弦が張ってあった。
91本。チューニングがものすごく大変だ。
なんだか気になってしまう、好きになってしまう見た目だった。
雑記 20140403
久々に伊勢丹に行ったら買いたいものがたくさんあった。
ズッカのギンガムチェックのワンピース、レイジースーザンのグラフィカルなプリント傘と名刺出し入れの所作が美しくなりそうなカードケースとカジュアルなクラッチバッグ、45rpmのきれいな黄色のニット、ワコールのかわいい部屋着。あとアンジェではヘルベチカの書体見本がプリントされたTシャツ、ダサい感じのトレーナー、彩度高めな緑色のどでかいバッグ、セラミックのすりおろし器各種。
デパートは伊勢丹が好きだ。次は大丸。高島屋はそんなに。
なんでかな。今度理由を書き出してみよう。
雑記 20140401
http://d.hatena.ne.jp/osamuharada/20140327
安西水丸さんのこと
2014年3月24日、安西水丸さんご逝去のニュースが報じられた。
3月17日に脳出血で倒れ、19日に亡くなられたとのことだった。
好きなものや素敵なものがたくさんあって、一番を決めるのは難しい。
ましてや優柔不断で、あれもこれもな性格なので、なおさらだ。
だけど、一番好きなイラストレーターは、
ずっと前から迷うことなく即答できて揺るがなかった。
安西水丸さんは、私にとって世界で一番好きなイラストレーターだった。
水丸さんの水平線、色、モチーフ、絵に現れる空気感。
「なんでこんな絵が描けるんだろう」
「なんで、絵をみてこんな気持ちになるんだろう」
村上春樹さんとの共著「象工場のハッピーエンド」や、
「ランゲルハンス島の午後」のページをめくるたびにそう思ったものだった。
一度、水丸さんの絵を模写したことがある。
同じペン先、同じインクを使っているのに、
全く同じようには描けない線に、落ち込むのを通り越して感服し、
手を動かしてみたことでよりわかった構図のすごさに感動した。
この4月から、水丸さんが講師をされている
「山陽堂イラストレーターズスタジオ」に、
第3期生として通えることになっていた。
3月はじめ、山陽堂の方から審査結果の通知のメールが届き、
入学手続に関する連絡の最後にこう記されていた。
『 追伸 先生が遠方からの受講を案じていらっしゃいました。
4月にお目にかかれますのを楽しみにしています。 』
ありがたく、恐縮に思い、そしてとてもうれしかった。
と同時に、水丸さんは京都が嫌いだから、
実はいつものあの笑顔の毒舌調で
「うわ、京都から来るの」とか
「正気じゃないんじゃない」というようなことを
おっしゃったんじゃないかな、そしてそれを山陽堂の方が
オブラートにやさしく包んでくださって
こういう表記になったんじゃないかな、と勝手に想像し、
それはそれでまたうれしく、1人でニヤニヤしていた。
訃報はそんな矢先のことだった。
通っていたパレットクラブスクールで一度だけ絵を講評していただき、
他のコースの授業を全部聴講した。
もう絵をみていただくことが叶わなくなった今、
講評で言っていただいたこと、授業で聞いたことは
更新されない財産となった。
そしてメールの件は、
個人的にお話ししたり接したりすることがなかった私にとって、
たったひとつの個人的な関わりのように思えていて、
この先ずっと忘れず、ことあるごとに思い出して
心の支えにしていくだろう。
でもやっぱり本音を言うと、
なんで今死んじゃうんだよう、水丸さん。
山陽堂で、厳しい指導をびしばし受けたかった。
お酒の席で色々質問したかった。
その死が惜しまれてならず、
悲しさと無念さの波がことあるごとに襲ってきて、
突然の死がもぎ取っていった心の空洞がぽっかりとあいたまま、
自分の気持ちの持っていきようも、今はまだどうしていいかわからない。
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